歌の本番が終了。今回は3番手だったから、結構楽だった。着替えの集合場所に時刻通りに入り、そのままリハ―サルの場所へ移動し、すぐに舞台袖に行く。仲間が待っている間ガチガチになっていたので、肩を撫でる。「本番に弱いから」とうつむいて固くなっていたが、その仲間の普段の練習の歌声を聞きながらいつも練習をしている自分である。この練習の歌声がなければ本番に強いこの私はないと思っている。どんなに本番が弱くてもかけがえのない大事な存在である。本番の結果が良いことに越したことはないが、いつだって通過地点である。一点、一刻の良い瞬間だけで人は生きているわけではない。連続した瞬間を生き続けているのだから。
他の団員の歌を最後まで聞き、ありがたい講評も頂いて打上げに近くのファミレスへ。遅くまで話をして過ごして、解散となる。先生はいくつも団体を抱えているが、団員の年齢がかなり上がっていて、私が所属している団が一番若い。だから自分が持つ最後の合唱団になるのは確実なのだと言う。それを聞いて、そうだよなぁと思う。当たり前のことだけれど、年上の団員たちはいつ解散するかわからないのだ。先生だって最近年齢を感じているから、新しくは団を作らない。なんだか自分のいる合唱団がすごいことになって来たぞ。先生はあと30年はやるぞ~!と意気込み、とりあえず30周年を近場の目標としてやるぞと活気付いていた。曲も楽譜も用意しているとのこと。NHKのコンクールの今年の課題曲をやろうとしている。「作曲がねぇ、リョクオウショクヤサイ」と言っている。どうなることやら。ひやひやだ。
ところで、どこまで生きるかわからないが、という日々を過ごしている。歌も自分には来年はないかもしれない。けれど、人生はそんなもので、来るか来ないかわからないことをあれこれ悩んだりしても仕方がないよなと今は思っている。人生の到達点とは結局生まれて死を迎えること、それだけだと思うのだ。それ以外は全部、途中での出来事。どんな寄り道をたくさんするか、である。だからいいことも悪いことも同じ価値なのだなぁと思う。何にもない穏やかな人生もあるとは思うけれど、些細なことで人は影響を受けて自分の喜怒哀楽を味わっているのだよなぁ。味わいたくない人がいたとしても、生れたからには死に向かうのは確実で、出会ったら別れるのも確実である。それについてなぜか人は足掻いたりもする。わかっていながら、足掻く。結構面白い要素だ。
私は何をどう足搔くのかなと思って、自分を見ている。今は明日の検査前の食事が炭水化物ばかりで怒っているところだ。検査って、理不尽だ。人生の中の楽しみな食事の回数が減ってしまうじゃないか!!と怒っている。検査で何かがわかったところで、死なないわけじゃないのだから、その一日が勿体ない!とかである。まあ、今は禅寺で修行中の僧になったみたいな気分で試している。良い出汁を取って、この少ない量をどう美味しく食べるか、だ。人生は工夫をすることを楽しむのだ。工夫を自分メイドに楽しむ。ようやくわかって来たぞ。自分にとっての人生ってなんなのか。しめしめ。
では今日はこのへんで。