どうせなら、ついでに。とりあえず、こんな感じで。

やらなくてはならないなぁ。そう思いながら積んでしまう物事がある。知りながら先に延ばしてしまうと後が大変だなと思う。したいことでさえ、まとまっていくつも重なると、小さな欲求さえもが面倒くさくなる。なので、気が付いたときに「とりあえず、やる。」ことにしている。

あの本を読んでなかったなぁと思って、あの本を手に取り、とりあえず開く。それだけだ。意外にこの行動が全て読む行動につながったり、ほんの少し読み進んだりする。それと同じで、他の気になっていたことをとりあえずやってみている。税額申請の書類を開いて見るとか、雛飾りを出していなかったので箱だけとりあえず下すか、とか。ほんの少しだけのことだとしても、全く変化の無かった状態からは脱出するのだ。

雛飾りは誰も見る人がいないけれど、この時期一時だけでも人形を虫干しするような機会になるからほんの2週間程度出しているが、何せ天袋にしまってある一箱を下すのが重労働である。重いし、落としそうで気が乗らない。節分の日が終わったら出せばいいのに、すでに長い時間が経ってしまった。それでも、今日は押し入れの中の下に置いてある箱を取り出してみた。土台が入っている重い方の箱。出したついでに広げてみた。ついでついでによって、自分の重い腰が上がることになった。天袋の箱も出して下ろして、そのままでも良かったのだが、その動きのついでに細かい人形や道具類を出して行く。結局最後まで飾り切った。おお、やっぱり終わった。

別にほんの少し、手をかけて触れてみただけ、本当に手をつけただけのことだ。それで最後まで完結しようなどとは思っていなかったが、案外人間は動き出したら止まらないものである。やる気など無くても、始めたら簡単には止まれなくなるものだろう。いや、やる気などない人の方がやり始めた物事を止めようと思っても、止めようとする「やる気」が欠落しているのだろうと思う。自分の気持ちの強い弱いにかかわらず、ベクトルがどこを向いているかだけなのだ。やる気のない自分は誰かから背中を押されれば抵抗する力が働かない。その方向へ進むだけだ。やる気が無い、動こうとする力が弱い自分も使い方次第である。

そんな感じで、今日は雛飾りが午前中に終わった。まぁ、一仕事したからその後はぐだぐだである。エネルギーは何をしていても使うし、時間も使っているのだなぁ。お腹が空いて昼ご飯を早々に食べて、昨夜見つけた面白そうなアニメ番組を一気に観た。1シーズン程度を一気に観てしまう。一日があっという間に終わりそうで、そうでもない。時間の使い方が良い訳でもないのだが。ぐだぐだしている様子でありながら、あまりアレコレ迷わず、ただ何をするのかパッと決めて何かに取り組んでいるのかもなぁと思う。迷う時間は迷う時間と定めているような感じかもしれない。自分で何をしているのかわからない、という時間が少ないのかもな。自分にとって意味のあるぐだぐだな時間を続けているのだ。

話は変わるが、最近小惑星と地球が衝突するかもしれないニュースについて、注目しているネット情報をチラホラ目にする。若いときだったら途端に気になって「生きている時間をどう使うか」と真面目に自分が取り組むことを考えていたように思う。今はその頃より、真面目に今を生きているのかもしれない。だからわざわざ考えたりしないなぁ。死ぬことに抗おうとして、助かる道を探すこともあまり意味が無いように感じるのは、年を取ったから?それもあるのだろうか。実感が湧きにくいだけかもしれないな。

けれどそれよりも、自分でどうすることも出来ないことに対して苦慮する時間を長く持つよりも、それまでに楽しめることをやっておこうと思ってしまうのだ。夕日が綺麗だから見ていたいなとか、美味しい物を誰かと食べながら過ごしたいなとか。

それに、生きていると終わりが来るのは仕方が無いと今は思えているからかもしれない。けして好きなことをやり切った、思う存分生き切ったとは言えないし、きっとやりたいことは死ぬまであると思うが、それでもいつかは死ぬんだな~と思えるようにはなっている。苦しいとか痛いとかは嫌だけれど、生まれて来たことも覚えていないし、死ぬということ自体も体験していないからよくわからないしね。むやみに怖がっていても時間ももったいないなと思うのだ。まぁ、それだけ死に近くなったのかもしれない。人って死期が近づいていると死が怖くなくなるらしいし。生き物だからそんなものなのかもな。まぁ、明日になったら自分はまた違うことを思うのだろう。生きているってそれだけで確実に悩ましいものだね。

では今日はこのへんで。