終わりの時間が見えて来た年齢となっている。自分の周りの友人や昔からの知り合いはほとんど年が上である。自分が考える「あと数十年」という数字が、「あと数年」という人もいる。まぁ、天変地異とか思いもかけないことで誰でもが急に明日亡くなることだってあるだろう。今日という日、または今という時間の一瞬一瞬を味わっておかないとと思う。
まぁ大体、そんなことを思うヒマがないほど、目の前のことに集中して生きている。最近は後先考えなよ!と言う自分の中の理性のようなものが長い間すっかり休暇中のようで、そのほとんどが本能の赴くままに生活している。自分の心地良さだったり、気分を壊さないように可能な限り自分一人の時間を作っている。自分が自分のことだけを集中して考えるための時間を増やすことにしてから、伸び伸び生きているなぁと思う。
そうなんだよなぁ。社会で生きているというのは自分でそういうふうに一人こもる時間を作るように努めなければ、自分が流され続ける感じがする。きっと何も気にしないで生きられるなら、流され続けてそれはそれでいい人生だと思うのだが、ふとした瞬間に魔が差して来て、我に返るようなことがあるとかなり動揺するのだ。過ぎ去ってしまった過去や起こるかどうかわからない未来に目を留めてしまって、急に立ちすくんで動けなくなるようなことはいくらだってある。
まぁ、そういうときは「今」を見なくなってしまったりして、時間が過ぎてしまうのだけれど。人生の中でいろんな時間を生きているよなぁ。自分はちょこっと進んでは止まり、またちょこっと進んでは止まる。簡単に言えば悩み多い人生なのだろう。悩みが多いから良いとか悪いとかではなくて、単純にそうだっていうだけなのだが。辛いと思っているときだけ、辛いねぇというだけで、何のことは無い。誰かと比べて損しているわけでもないし得もしない。誰かと比べても意味の無いことだよなぁということ位が、今の年齢になってやっとわかって来たというだけだろうか。
へ~、とただ思うことがあるのみだ。自分のことであっても、だ。とても素敵な人生だなぁと誰かの人生を見て思ったとしても、他人の人生なんんて体験出来るわけじゃないし、真似しても真似でしかない。自分の人生も過ぎ去ってしまうから、結局後で傍観者のように思い出しているだけなのだよなぁ。いろいろあったその時点でのハラハラ、ドキドキの興奮でさえ、少し丸くなって包まれて、時間が経つにつれて残り香のようにあるだけだ。やっぱりいくら自分の記憶の中にあったとしても、その一瞬のときの興奮や色鮮やかさ、温度等、そのときだけのものだろう。忘れるものもたくさん。記憶しておいたところで、どう足掻いてももう同じものは手に入れられないのだ。過去はまるで他人の人生だ。
そんなことを思いながら今日はブログを書いている。文章を書くというのはその残り香を虚しいと分かっていながらも自分に留めたいのだろうか。すこしずつ薄れて行くそのときの思いや感情、空気を残して行く。そして、それを見ることによって、そのときにまた新しい感情が上乗せされて上書きされて行って、新しい「今」というものが生まれているのかなぁ。そして残って、未来の自分がまた新たなものを乗せて行く。その繰り返しだなぁ。
繰り返すように見える日々が少しずつ変化していて、同じものはひとつもない。毎日新しく生まれて、古くなる。自分も常に古いものと新しいものとが混ざり合って、今日という一日を過ごして行く。ちゃんと新しい自分を受け入れる準備は出来ているだろうか?古い自分を捨てる準備は出来ているだろうか。そんなことを言ったって、準備なんかいつも出来てない。すごい速さで勝手に変化して行くんだ。
あーあ、また慌てふためくんだろうなぁ。バターの香りの無いパンなんて、歯応えしかないパンなんてイヤだ、と言っていたのに、歯応えだけのパンが最近はお気に入りになって来た。今日はパン屋が開いている。ガリガリとカリカリの中間みたいなガーリック味のミニバゲットをまた食べたくなった。よし、買いに出かけよう。昨日までの自分を常に裏切り続けるような自分である。そういうもんかな。自分って、そういうところがめちゃくちゃ素直だな。おいおいって思いながらも、笑って新しい自分について行くのみだ。
では今日はこのへんで。