スマートになるためにスマートにやろうとしてスマートに出来ないけれど、実はスマートだったりして。

うまくやろうとする。これが悩みに繋がる最大の原因じゃないかなと思う。一回も試したこともないのに最初からうまくやろうとする人が増えたような。それだけ失敗をしてはいけない厳しい世の中になっちゃったんだ~。そりゃキツイね。仕事も4月からの新入社員がきっちりしっかりと言われたことをやれるのは当然で、それ以上を求められるようだねぇ。仕事みたいなものだけでなく、生活の全般がそうなっているのも耳にする。

家族間でさえ、声をかけるのをこわごわやっていて、驚く。反抗期とか思春期のこどもに声をどうかけたらいいかわからないと言う。相手を思って気にしているのかもしれないけれど、自分がこうしたら、相手からこうされたい、っていう欲求が強いのかなぁと私は思ってしまう。最初から最善を探して、正解があるかのように事を進めているように見えるし、自分が最善の策を練って、こうしたのだから、あなたも最善の策を練って自分へ返してくれなくちゃいけない、と言っている気がしてしまう。たとえ自分が生活のすべてをなげうったとしても、相手が100%応えるか否かは自由だよ、と思うのだがどうなんだろうか。相手が応えなかったら怒るのかな。だとしたら、まるで相手は操作されているみたいだ。自分がされたら嫌だろうに。相手は相手、自分は自分。だから自分が精一杯やるのはいいけれど、相手に応えを求めないっていうのがいい気がしている。

そう書きつつも、私は自分の1%の労力でやったことが相手の100%以上で返って来ないと嫌だ…と思う欲深い人間で。反応はばっちり、昔はそれこそ「なんでだ!?」と怒っていたように思う。人を自分の意のままに~と思うこと、それも自由なんだけれどさ。今はそんなふうに怒りを人前で出す人は見かけなくなった。タブーみたいだ。怒るのは内面に溜めて、スマイルをしながら何もなかったかのように過ごしている。確かに若い頃は感情丸出しで怒る人を見て恥ずかしいとか、冷静にいてくれよ、と思って自分のことは棚に上げて馬鹿にしていたところがある。今は、みんな冷静な顔してすごいなと思うのと同時に、私は怖いなぁとも思うのだ。だって、何をどう思っているかわからないんだから。お互いそうなってくると、疑心暗鬼。喜んでウキウキ、目がハートの人にでさえ、殺気立った鬼に見えて来るような気がする。

もしかしたら、特に若い人たちはそんな風に生きていて、円滑に事が進むようにみんなすごいことを毎日やっているんだなあと想像する。・・・本当にすごいことをやっている。だから余計に疲れて追い詰められてしまうんだろうなあと見ていて思う。ただでさえ何もなくても疲れてしまう私はその足元にも及ばない。まあ、だから独りで隠居生活みたいになっているのだろう。ぅほほほ。

ああ、今日もダラダラと書き綴ってしまった。一体何を言いたいかって?うまくやろうとしないとこうなる、ってことかな。あっち行ったりこっち行ったり、思考のうろうろ道中。見せないようにすることも出来るが、ブログという場で文字にしている。場所があり、せっかくなのでねぇ。自分の外に出すものは美しくありたいが、そんなことばかりではさらに疲れちゃうので。自分には誠実に忠実に、他人には不確定に無粋にとか、そのくらいで生きれば楽かと思ってさ。

では今日はこのへんで~。