それは誰のせいでもないし自分のせいでもありたくないから口笛を吹いて目を逸らす

だらけたい。毎日だらけているのが好きである。理想の一日はこうだ。気分に合わせてテレビを見ながらゴロゴロして、おやつを食べながらパジャマで過ごし、あ~日も暮れたなと感じたら、ごそごそとその辺にある服を着て、買い物に出かけて今日の晩ご飯は何にしようか♪と鼻歌を歌いながら買い物して、風呂に入ってゆっくりご飯を食べて、読書をして目が疲れたり眠くなったら寝る。近い生活はしているんだが、以前よりなんともしっくりこない。退職してからの方が忙しくなってしまった気がする。

だらけ道というものがあったら、プチだらけ道に入っただけで、だらけ外道に属するのかもしれない。時間が増えて、自分の気分で何らかのモノに会いに行ける時間が確保出来ているはずなのに、時間がない気がしている。今は私がみんな一人で過ごしてつまらないだろう暇だろう、暮らしに飽きているんじゃないか、可哀そうだと思って心配して声をかけてくる人が増えてしまったのも理由の一つである。遊びに行くことで予定が詰まって来た。自分のその日の気分でどう過ごそうか!というのはなくなっている。先の予定が決まってしまっている。自分に予定はなくとも、相手には空いている日がないしな~と思うと、相手に合わせて予定を入れてしまう。今まで思ってもみなかった人との付き合いも増えた。基本的にメールの返事も即レスだったはずなのに、予定が入り過ぎて返信が出来ず、徐々に遅く返していることに焦りと忙しさを感じ始めている。

それに、だらけている時間の区切りがないから、というのが本質的な理由ではないかと思い始めた。以前は時間に区切りがあって、明確に「だらけて過ごす」「働いている」というふうにわかりやすかったのではないだろうか。出勤日とそうでない日、ハレの日ケの日のように分けていないと、明確な実感としてだらけている感じがしてこないことがだんだんと分かって来た気がする。常に今の延長線上にずっとだらけている時間の流れがあって、いつしか慣れて特別感がなくなってしまったのだろう。感じ方が希薄になった分、それを求め、足りないものを得るためにさらに求める。終わりはない。まるで「だらけスタイルの王道」を進むことが自分の仕事のようになってしまった感がある。24時間、そして週休0日、ずっとスケジュールが入っているみたいで忙しい。だらけることに忙しく努めている?勤しんでいる?おかしい日々になって来た。

ふと学生の頃を思い出す。いつも忙しそうにしていて声がかけられない、と言われていたなぁ。親からも「いつも手が動いてマメに働いているねぇ」と幼い頃から言われていた。家にいてもいつも何かを作っていたのは確かだ。ボーっとしている時間なんてないでしょ?と友人にも度々言われた。何かしら手にして、あれやろう、これやろうと動いている。寝落ちしたこともあまりなくて、居眠りも「寝よう」とどこかで決めないと寝ていない。何か目的を持って動いていないと生きていない感じがしてしまうのか?性格なのか。きっと今に始まったことではないのだと思う。

こうやって自分を見てみると、物事を達成したい欲にかられてひたすら動き続けて行くしかない人生なのだなと、少し残念な気がしている。忙(せわ)しい感じがする。自分は休むのではなく、ダラダラとしたいのだな。ダラダラと動き続けること。過ごし方?理想のだらけるって何だろう。このままだと、あるかわからないが憧れの高尚なだらけ方を突き詰めていったりしそうだ。だらけを考え続けてだらけられないような気がしてならない。物理的にまずは遊びの予定をキャンセルか?意識的に休むのも大切だと聞く。このブログも遊びのはずなんだがなぁ。どれをやめたら「だらける」という日がやってくるのだろう。この日、と決めてだらけるしかないのかなぁ。向いてないな。だからしたいのか。あっ?ないものねだりってやつか。

では今日はこのへんで。