泥沼にハマっていることに気が付かない才能の行方

ピアノのレッスン日。バスから降り、先生のお宅へ歩いて坂道を上る。道の片側に削られた山肌がフェンス越しに見える。いつも通っているのに気が付かなかった妙な花が見える。食虫植物のようなトックリ型の花が見える。こんなのあったっけ。家族に調べてもらおうと写真をメールした。

早速探し出してくれて連絡が入る。おそらくウラシマソウと呼ばれるものらしい。葉っぱは明日葉とかのように人の手を広げたような切り込みの入ったもので、花を下に隠すように生えていた。こんな変な植物があることに、ずっと何年も気が付かずにいたんだな。植物によっては、人には知られたくないこともあるのかもしれない。生存戦略か?ならこれは失敗している。私の目には映ってしまった。今はまだ他の雑草も生えておらず、たまたま群生していないその一本が離れて生えていたため気が付いた。多くはあちこちに固まって生えて、広がっている。群生しているものを、上から見ていただけでは葉っぱしか見えない。しかも少し色も白と黒が入っていて、影のように見えていたから、ちょっと目に入っても錯覚で気が付かないよなぁ。たぶん今まで上手く騙されていたのだ。

このウラシマソウと呼ばれるもの、ウラシマとあるように、それとわかるような特徴があった。浦島太郎が持っている釣り竿みたいに見える部分があるのだ。一本何だかわからない管のようなものがニューっと伸びている。へ~。植物って少し調べてみると面白い。名前だけでも何だか下らないことで興味が持てそうだ。

しかも、なぜだ?と言いたくなる仕組みを持っていた。よく見かける食虫植物のようにトックリ型の花の形をしているが、想像通り虫を取り込んでも、花粉を運ばせるだけで虫を消化しないらしい。家族の説明をちゃんと聞いていなかったから詳しいことは忘れてしまったが、雄花に入ると出口があるが、雌花に入ると出口がなくて虫が死んでしまうとかなんとか。香りで誘って花粉を運ばせるのみで、後はどの花を選んだかの運ですよってことだよな。捕らえた獲物を栄養にしないなんてもったいないと自分は思ってしまった。

だが、虫は必死である。底まで進んでどうなるかわかってしまった虫はその時点でただ死んでしまうわけだから、後から来る虫に対して連絡手段はない。その一方生き残っている虫もいるから、後から同じように死んでしまう花の方へ入ることもある。結局花を見つけてしまったらどちらかに入るのだ。そんなことを想像して、大変だなぁと思う。虫目線だと大変だが、花は栄養にならないけれど花粉を運んでもらうというひとつの目的に対してやるだけという体の作りを持っていて、シンプルな戦略だ。動かないのに機能的ですごい。

そんなことを書きつつ思い始める。私が虫だったらただの愚かな虫だろう。恐ろしいことが起こるかもしれないと自分でわかっていても、そこに入るのだ。なぜかこれだけ世の中で情報をもらっていて、やめておいた方がいいよ、それでは生きられないよ、と言われてもやってしまうことが多い。やって行くことで違う新しい可能性を見出そうとしているのかもしれないなと思う。どこかで同じ結果にならないと思っているふしがある。またはそういう性があるのかもしれない。違うもの、新しいもの、未知のものに魅力を感じてしまう。同じことの繰り返しに見えることでさえ、変わって行くものだと思っている。だからワクワクする。いつかウラシマソウの花のような危ないものにハマって出られないものの中に陥ってしまうこともあるのもしれない。いや、ないか。というかないことを願う。

とか何とか、一旦他のことを考えていたら、虫は雄花、雌花と続いて動いて行くんだっけ?と思い直す。家族が調べてくれた話を中途半端に聞いていたから、たぶん虫の移動について間違った解釈をしているんじゃないだろうか。普通に雄花と雌花、両方に行き来して花粉がついて受粉するよなぁ。虫はたぶん入ったら絶対に出られないはずだ。受粉したらそれこそ花にとっては虫という存在は完全に用がないわけで。その花に入ってしまった虫は途端に愚かな虫となるのだな~。今更気が付いた。

私もまた最後まで書いて来てしまった。書き出してしまったら、もう逃げられない。文章を書くのにただハマった完全に愚かな者だ。どんな結末が自分を待っているのだろうか。もう何日も、またダラダラと書いてしまった。ひぇ~。

では今日はこのへんで。