初めまして。向こうから面白いヤツがやって来たと思っている幸せ者です。

友人のサロンコンサートに行く。ピアノ伴奏とソロ一曲。伴奏もいい呼吸で素敵な演奏だったが、ソロで弾いた一曲はじっと見つめたまま動けなくなるほど素敵で、友人の出す音色をじっくり堪能出来た。素晴らしいな~。他に歌手もいたが、歌の内容や会場の響きのせいなのか、言葉が届いて来なくて、なんとなくピアノばかり聞いていた。歌手や他の楽器とのアンサンブルについては、まだまだノビシロがある若い人だったから仕方ないなぁ。「一緒に歌いましょう」の時間だけは自分も歌って楽しんでいた。

今日のソロで弾いた曲は、もう何年も前に友人が小さなサロンコンサートで弾いたことがあった曲。地域の高齢者向けにやっているような小さなサロンコンサートで、古い小さなアップライトで弾いていた。音を聞いたとき、なぜこんな音色が出るのだろうと驚いたのを覚えている。放置されていて手入れされてないアップライトだから、今日はそんなにいい音が出ないよな~と思っていたが、弾き始めてすぐに今までの考えが間違っていたことに気が付く。演奏家として活躍しているピアニストというのは、どんな状態のピアノであってもその楽器本体を素敵に響かせ鳴らすものなのだ。何となく鳴らしている音とは明らかに違う。目の前にある楽器の良さを最大限に引き出して最高の演奏になるように弾く。それがピアノを弾くことなのだなあとそのとき素直に思った。その日から自分のピアノについての考え方がかなり変わったのは確かだ。

よりいい楽器で弾くと、もちろん素晴らしい音が出る。それは自分でもわかる。触っただけでいい音が出るのだから。出来ればいい音を出す楽器と過ごしたいものだ。けれども自分で手に入れるには高価だったり、いいと言われる楽器がいい演奏をする弾き手に渡ることが多いのかなと思う。いい楽器がより自分の魅力を引き出してくれる人のところへ、自ら望んで行きたくなるのだろう。勝手にそう思っている。人間だって自分の魅力を引き出していい気分にしてくれる人のところへ行ってしまうのだから、無理もない。楽器に選ばれるというか、引き合うのだろうなと思っている。

実を言うと、私はいいピアノを持っているのだ。と言っても誰にとってもいいピアノであると言っているわけではない。友人の演奏を聞く以前は、それこそ最悪なピアノだと思っていた。毎日響きが変わって、とても気難しい。新品で買ったはずなのに弦が切れたりして故障も多かった。鍵盤は度々直してもらってはいるが、ガタツキがあるし重い。動作も常に変化して行く。雑音も多い。だから調律師泣かせだった。いつだって家で待っていてくれる(当たり前か)けれど、いつだって普通と呼ばれる状態が無いピアノだった。何かが常に変わり続けるし、調子がいいときと悪いときの差がものすごい。ちょっと練習しないで置いておくと、途端に音がこもり鳴らなくなる。・・・とまあ、何でそのピアノ使ってるの?と思われるくらいの扱い辛いピアノである。

けれど、この調子の悪さ、それがいいのだ。鍵盤に触るのを慎重にさせ、響いた音を繊細に感じ取ることを否応なしにさせられる。かなり神経を使いながら、どうよ、これどうよ、とピアノに伺いながら練習をすることになる。常にその都度変化対応をさせられている。たまにいい音がなると「おお~!」と思う。私に足りていないこと、必要なことを教えてくれるピアノになっている。だから今はいいピアノなのだ。

いいピアノで練習をしている証拠に、外で弾くピアノは大抵いい音が簡単に響くなあと感じるようになってしまった。どこへ行っても気分良く弾ける。家のピアノより楽に弾けるなぁ~と思ってしまう。私と今のピアノは引き合って出会ったんだな。こんな出会いはなかなかない。ムフフフ。

とはいえ、出会いがあれば別れもある。いつか違うエッライ大変なピアノがやって来るかもしれない。なぜだ?素敵な美しい音色を簡単に出すのではなく?って書いていて思うが、引き合ってしまったら仕方がない。引き合う相手がいるだけでも幸せだろうとも思う。それに、何だかよくわからないけれど、いつも私のところに集まって来るモノはすべてが面白いしな~。人も物も何もかも。

ではまた今日はこのへんで。