純粋で無垢、健康的な賄賂を出せと鳥が言う

先日、庭の梅の花が散り、枝だらけになって来たなあと思っていたら、大きなバッタみたいなものが枝に刺さっていることに気が付いた。ハヤニエと呼ばれるものだ。モズのオスが食料を貯蔵しておくための方法らしい。すぐ近くで目に入るとやはりギョッとするが、生きる知恵ってこんなところにもあるのかと感心してしまう。

庭にはいろんな木を植えたり、柑橘を丸ごと放置したりアボカドの種をそのまま放り投げたために、あちこちから芽が生えて狭い庭がより狭くなっている。いろんな種類が生えている、と言うと大体広い庭を想像されるが、それほどの広さはなく、駐車場のスペースを持たないから庭に空きがあり、使っているだけだ。それに加えて、古い建築物だから周囲が他の家との隙間を開けてある。近年では防火対策が施されていれば、かなりギリギリまで住宅の壁と壁が近くなっても問題ないらしいが、古い建築で木造だから火が出たらすぐ燃えない程度、人が通れる位は開いている。そんなところに、放って置いた実が日差しが当たるというだけで芽が出て大きくなってしまった次第である。

この庭にあるものは実が付けば食べられるものがほとんどであるが、実になったものは少ない。レモンやアボカドはなかなか実をつけてくれないのだ。手入れをしないで自然に育つのが魅力なのだが、隣近所のこともあるから自然をあるがままにして置いてられず最低限処理する。仕方なく下手な剪定をしたせいで花を咲かしてくれることもないままで、もちろん実がつかない。未だに毎年花より枝葉を愛でているだけである。

ハヤニエが表しているように、庭に木があると鳥がたくさん訪れている。名前がわからない鳥も多いが、雀も警戒心があるはずなのに木に留まるのを見かける。小さくてぷっくりしておじさん顔。街中では集団でいるのをあまり見かけなくなったが家の中から見ることが出来る。贅沢だな~。首を傾げて、空の方を見て大きな鳥が来ないか警戒しつつ、必死に何かをついばんでいる。かわいいものだ。

尺取り虫が枝をものすごい勢いで歩いているのを見たこともあるから、私が気が付いていないいろんな虫がたくさんいるのだろう。鳥にしてみたらごちそうがたくさんある場所。こちらとしても鳥によって虫の被害が適度に抑えられて助かる。家に居ながら鳥の観察をしているだけでラク出来るし楽しめるし一石二鳥だ。

人工的に鳥の巣箱や餌台など作らなくても、そのまま生き物の循環さえ見守っていれば出来ることなのだ。どこからともなく情報が流れ、勝手に集まって来る。自然に生きる動物たちってすごいなあと思ってしまう。ほんの少し増え過ぎた危ない毛を持った虫については、私自身が被害を受けるので見つけたら取り除くこともあるが、薬を撒かずに出来る限り済ませたいと思っている。要らなくなった箸などを使って一つ一つ取る。それだけで何とか無事に過ごしているからいいかなと思う。

もし、うちの庭に農薬などを撒いたら、きっとハヤニエなど行われない。鳥も危険を察知して近寄らないだろう。と言うより、虫がいなくなるのだから餌場ではなくなってしまい、ここには来なくなるだろう。鳥が頻繁に訪れることがなくなると、それを知ってか知らずか農薬に強い我が物顔の新たな厄介な害虫たちが集まってくる気がする。それはかなり手強くて怖い。農薬をものともせず、物理的な攻撃しか効かないか、攻撃したとしてもさらに増えて、こちらへ攻撃し返して来るかもしれない。こちらは四六時中戦わなきゃいけないのか?へとへとになって、きっと退散するのは自分の方になってしまうだろう。…もちろん、テキトーな想像だが。

今のところ、そんな面倒くさい事態にならないよう、いろんなものに居てもらった方がいいのだ。大したことを私がしていない間にバランスを取ってくれている。何かこちらからやらなくていいってありがたい。やることと言ったら見てるだけ~。ハヤニエを庭で目にすることが出来る間は安心。枝葉ばかり見ていたが、今朝は木に3つ花の蕾を見つけた。実が付けばいいなぁ。でもせっかくなら働いてくれている鳥にやる方がいいか?いや、あいつらうちで食べてるだけな気もする。勝手に食って勝手に糞をしていく。じゃあ出す糞は肥料か?糞には新しい植物の種が混じっていて咲いたりしているし。これも庭に与えてもらっているからどうしよう。

今考えても無駄なこと。その時考えることにする。実がついてないし、まだ咲いてもいないので。

では今日はこのへんで。