それが本当の自分にとって続けていいことならば、続いていく。

宝くじを買った。買ってしまった。今年一年位は買わないだろうと思っていたのに、駅前の宝くじ売り場を見て何となく買っていた。貯金をする際に、よく言われる無駄遣いに該当する行為。視界に何度も入るから、影響されまくりだ。広告に弱いことをまた身をもって体験してしまった。

夢を買う、という昔話があったが、宝くじは夢を買うのではないよな~。投資だとしたら下落し続ける様子が見てわかるのに、高い手数料をせっせと払っているようなもの。くじを買う数百円と銀行に預けている利息を比べるとものすごくもったいない。お金が戻ってこない時は寄付しているのだと思えばいいという言い訳をしながら、今までも何回か買ってしまっていた。買う時は多くて2枚。ほぼ1枚である。末等の当たりがほとんどで、ある意味いい確率で当たっている。

だが、傍から見たらただお金が行ったり来たりしているだけ。お金とお金ではない紙切れの価値に変化が加わって交換をしているならいいが、等価交換をしている。損はしていないように見えるが、意味のない行為にしか見えない。ただの「買う」子どもの遊びのようだ。

それに誰かに必ず「買っちゃったよ」と言う遊びなのかもしれないと思う。高い買い物なら聞いたことがよくあるセリフだが、宝くじは買っても自慢にもならないのになぜか私は言う。今もこうやって書いてしまう。自分の周りにも同じような人がいる。私に買った、いやまだ買ってないと言ってくる。これは季節の風物詩、遊びなのかもなと思う。コミュニケーションの一つなら、堂々と買えばいいか。また自分にとって新たなもっともらしい言い訳を見つけてしまった。

さて、書き続けて来た日記だが、文章は少ない方が良いと思っているにも関わらず、長くダラダラ書きが続いている。なので、今日はそれほど書くつもりもない。ただ、ひとつずっと書こうと思っていたのに書いていないことを書いておこう。

唾液のことだ。唾液がじるじる出ていることが自分の状態を表している。ある夜、眠るときに気が付いたのだ。まだうつらうつらして、うつ伏せ寝をしていたときにヨダレが落ちそうになった。これは・・・もしかして唾液量が増えている?!口の中が乾いていない。朝起きて顔にヨダレがつくなんて迷惑だと思いがちだが、私は長い間ヨダレがつくほど唾液があることがなかった。ご飯を食べるときもそう言えばむせるようなこともない。表現は書いていてビミョーだが、常にじるじるになっている。緊張すると人間は唾液の量が減るらしいので、じるじるなのはゆったり生活出来ていることを表しているはずだ。わーい。

退職して好きなことをやっている。ストレスが大幅に減ったのだなぁ。体の反応は顕著なのだ。大切にしてあげよう。また夜遅くなってしまった。寝よう寝よう。

では今日はこのへんで。