自分の予想を足蹴にして結果というヤツが超えて行くのを老眼鏡越しに愛でる

一か月近くブログを書いている。自分で決めたことではあったが、毎日時間を作ること、どの時間帯が自分にとって楽に書ける時間かを考えることとなった。どの位書いていると疲れるのか、長く文章を書きたくないとは思っても書いてしまう自分の気持ちをどう堰き止めるか、文章量の適度とはあるのか、いろいろ模索しながら書き進めて来た。書くこと自体は別に何ともないのだが、書いている時間と体力、目の疲れ、人との交流等の時間確保のための格闘、ピアノ今弾きたい病・本読みたい病等の他にしたいことが生じたときどうするか、試しながら日々暮らして来た気がする。誰かからその場で決められた時間の間「書け~」と言われたらいくらでも駄文を書いて行けるけれど、自分については何がどのくらいがいいのかまだわからないことが多い。自分の自由な時間を割いてみて、どれくらいが自分の欲求を満たすものなのかは、今回のようなブログという形をとってみたことで少しはわかって来た。いい体験となっている。書け書けである。

以前は特定の知人のみに公開するような限定範囲向けのブログのようなものを何年も書いていた時期があったが、誰に向けて書くか、というのは気分が違う。今回は不特定多数、年齢も様々、あまりエッジが尖った内容も書けないよなぁと思いながらのスタート。人のことより、自分についてを書くことが望ましい気がして書いていた。誰に向けて書くか、を意識するなら、とにかく自分に向けて自分のために書いていた。そうは言っても他人に向けて思っていることがこぼれ出てしまうものだろうし、こうやって人の目に触れる場で書くことで、やんわりと何か世界に発信しているつもりでもある。あくまでやんわり。

さて、今日はこれから友人のピアノ発表会に行ってくる。大人になってから始めて数年目の舞台である。退職してからピアノを習おうと思っているんだ、と話をされたときに、「なんで今やらないの?」と言った。自分の希望に関わらず明日にでも死んじゃうかもしれないのに、なんでそこまでやりたいことを待つのか。今やれよ、と言った覚えがある。その後友人は仕事が忙しい最中だったが念願のピアノを買い、習い始めた。あのときは言葉が届いたことも嬉しかったが、今も楽しそうに弾いている話を聞くとさらに嬉しくなる。人が自分の欲求に正直になり、やりたいことを後回しにせずやり始めているのを見ると心がほんわり温まる。自分のことでもないのに、なぜだろう。人の幸せな気分を自分と重ねて感じるのだろうか。

したいことがあったときに、自分が考えてみて、やってもやらなくても同じ結果が出てしまうとしたとき、どうするか。私はその結果が出るまでの道のりだけでも楽しめる方を選ぶのはどうだろうかと思う。やってみたことでやったという体験は出来るから、得られるものは大きいし、やり切ったら諦めもつくはずだ。それに、結果がもっと大きな失敗になるかもしれない。自分の予想を反していくことによって面白い体験になるしな~。自分の考えていた予想の範疇から結果が飛び出ていくのはわくわくすると思うのだ。

このブログでも同じことを思っている。誰の目にも留まらないはずだ、と思っているうちに何だか人の目に触れていることをひしひしと感じ始めている。読者って何?スターって何?ブックマークって?と気になり、一応何なのか見ている。きっと私のブログを読んでくれた、その人のブログを読んで行けばいいのだろうなぁと思いながらも、未だに他の人のブログを読むまでに至ってない。読みたい本を時間を見つけては読んでいて、楽譜を読んでいて、さらに自分のブログを読み返す作業で目の疲れはピーク。書いていても疲れるから読むまでの行為に至らない。ああ、目を今日もすでに酷使した。つらい。じゃあ、ご飯を食べて出かけよう。

では今日はこのへんで。読んで下さりいつもありがとう。