誰から見ても見かけは同じゴロゴロでも、実は違いますよ。これは初めての特別なゴロゴロなんです!

カラスが遠くで鳴いている。雷が鳴り出して来た。光っている。雨戸を閉めてすぐには雨風ひどくならないさ~と思っていたら、途端に雨の音。風も押し付けるように吹いて来た。すきま風が入って、カーテンが揺れる。あっという間に暗くなってしまった。トイレや風呂場にある小窓も普段なら閉めないが、何となく全て閉めてみた。ゴーッ!と空がうなり出した。ギリギリ間に合ってほっとしている。ひょ~。良かった。こんなに早く変化するとは思ってもみなかった。天気が急変、とは今日みたいなことだな。

雷が少し離れたところで鳴って行く。さっき、ついさっきまでは右側から聞こえていたはずなのに、数分も経たないうちに左側に響いて聞こえて来る。もしかしたら海沿いに移動して足早に過ぎ去るのかもしれない。けれど辺りはさらに暗くなって来た。

白くない、黒い嵐。隣の屋根を見えなくするくらい白い雨が降る様子もなかなか怖いものがあるけれど、目が見えることで安心を得る者としては、やはり黒い嵐の方が恐怖に陥りやすいかもしれない。今少し明るくなった。空気の圧力が変化している。少しホッとするが、夜までずっとこんな感じで家に閉じ込められる気がする。ふらふら出歩ける雰囲気にはならない。困ったものだ。

これが春の襲来。嵐が訪れ、春がやって来る感じだ。庭の木の蕾が咲き始めた。自分で数えていたときよりも一つ多い。花も次から次へと咲くのだろう。急に明るくなったからか、カラスがおしゃべりしているのが聞こえる。ひと時の平安でも、それは人も同じこと。雨どいから流れていた水音が、粒が落ちる音に変わった。ぽたぽた言っている。雨も止んだのか?遠雷が微かに聞こえる。人の声も聞こえて来た。雨戸を開ける気にはならないが、少しカーテンを開けて高い位置にある窓から外を覗いてみる。明るい。

外に勤めに出ていた頃も、天気は重要だった。気分が変わることがある。微細な景色変化が面白く、自分にはある意味悩ましいものでもある。特に、雷は単に怖いから外に出たくない。「雷が鳴ったら行きません」宣言をするという生活を続けている。天気予報で予め雷が鳴ると分かっているときは予定をキャンセルだ。大雪が降ったらどこかへ行くのはためらうが、面倒くさいと思うだけで、雪は構わない。大雪でも歩くだけで行ける場所ならいい。一度もそんなタイミングはなかったけれど、前職の職場は大雪が降っても歩いて行けるところにしていたくらいだ。

メキシコだったか、雨が降ると危ないから学校がお休みになるという話を聞いたことがある。本当に通学する際危険なのだろう。日本では少し位の雨、風、・・・なんかでは私が子供の頃は休校なんてしなかったが、最近では前もって予測が出るからか、台風や大雪の前日から休みになっているのを聞くとうらやましいと思ってしまう。後で授業の後れを取り戻すために日にちを分散して時間割が増えてしまい、授業が長く延びるらしいからそれも嫌だとは思う。どっちにしても、やらなきゃやらないで授業を受ける権利があるのにと今度は文句が出るか~。自分は授業は凝縮してコンパクトにかつ、しっかり充実したものがいい。もう済んだことなので何とでも言える。いい身分だ。単に休めていいな、と休む部分だけに注目してうらやましがっている。休んで過ごしているくせに、である。

こんな変な天気の中、今日は外に出ず図書館から借りて来ていた「さと子の日記」を読んでいた。表紙も何となく思い出した。この本はとても短い一生分の日記、しかも子ども向けだから短いドキュメンタリーだ。まだ幼い子どものさと子が綴る文字はひらがなが多い。私がまだ子どもだったときに、どのくらいさと子の気持ちを読めたのだろう。今は文字を追うごとに、自分に関わった人の姿と重なって来る。記憶にはないけれど自分の人生に恐らく色濃く残っているような気がした。書くこと、読むこと、日々生きていて気が付いたことを記すこと。人を取り巻いている生と死と生きがいのこと。ただ真っすぐに走ることが出来るということすら、人からうらやましいと思われるものの一つであることを、子どもの時代に知った自分がいたこと。自分の人生で関わった人との記憶と共に今思い出している。

また風がごうごう言っている。きっとこんな荒れた天気でも、さと子なら学校に行きたいと言い、どうにか行けるなら行ってしまうだろう。生きがいは人それぞれ、何かひとつはあるものだ。見つけられてない人は、そう、見つけられていないだけで、きっとあるはずだ。私は退職してゴロゴロしている生活である。14歳で突然亡くなった友人に、今の生き方を問われたら「うん、いい感じだよ。」と自信を持って言える。人生の岐路に立った時、この選択はどうよ、って常に友人に問いかけて来たが、今回初めて笑ってくれた気がするのだ。自分自身の人生のために生きているって言えるのが、たぶん初めてだったんだよなぁ。

では今日はこのへんで。