デコとボコなら合うんですが、テキドなら合いませんよ。

特別パッとしないものでも、何かと何かを組み合わせて、新しいものを作って活かして行くことは、これからの自分の暮らしには大事なことだなと以前から思っている。それに、人と人との関係がつながることは世の中には大事なことになって行く、はず。

助け合い、みたいなものに似ている。マイナス同士を組み合わせたら、プラスの何かになったりしないだろうか。単体では絵にならなくても、たくさんあるとそれなりにしっくりくるとか。カオスのこの世の中ではいろいろ混ざっていることが大きな力になるんだろうな~。

書いていて当たり前のことをどんどん綴ってしまう。文字だってそうだ。一文字だとピンと来ないことが多いけれど、こうやって増えて行くと文章になって行く。すごいことだ。凸凹で、多様性の世界。書き手が変でも、読み手が素晴らしい感覚の持ち主ならなんだか伝わってしまうことも多い。そういった類の点と点が複雑につながって出来ているんだろう。だから私は変でも堂々と書ける。ありがとう。

ボランティア先で自分が直接背負うばかりではなく、自分で出来ないことを誰かが上手にやっているという情報を知る機会に恵まれているのだから、使わない手はないと思い始めた。以前は、あの人の技術力とあの人の要望は合致するんじゃないか?と知っていながら「どうだろう?」で声もかけずに止まってしまっていた。行動するのを避けていたんじゃないだろうか。誰か~誰か~!と誰か手が挙がるのを待っていて、そのまま引っ込む。動いて行く自信の無さと、目の前の課題に取り組む気力がそれほどなかったんだなぁ。そんなことが多かった。

だからと言って出来なかったことを今落ち込む必要もないと思う。きっとそのときはそれで良かったのだ。すべてをいつでも自分が中心になってつなげなくてはならないものではないのだから。その場ではなく、違う形でつながるものはつながっていく。だから自分が出来なかったことは縁がなかったのだと思って終了。くよくよしない。

今は、先に体が動いている。自分でも驚く。必要なら手は挙げるし、どこでも行くし、誰とでも話す。こういう自分になったんだ、これからは自分が動くタイミングなのだなと思う。考えなくても自然に時が来たら動くのが人間なんだな~。

今日も出かけた帰りの道、偶然知り合いに引っ張られ、地域の一日カフェみたいなところに寄ってしまった。マンドリン演奏やっているからお茶飲んで聞いてって、と強引に引き込まれたが、他の地域で何をやっているのか立場の違った目で見ることが出来たので結果的には良かった。たまたま隣に座っていた若い人が地域活動に関わる役所職員で、予算のこととか何だかんだ話す機会にもなった。

たまたま、なのが自分にはこんなふうに多い。ちょっと顔見知りになるだけで、何かをやろうとしたときに気楽に話が進んだりすることもある。何となく知っている人、というのはそれほど警戒されないからだ。話やすくなる。だんだん知り合いになると、変人だ、というのもわかってくるとは思うが、その頃には相手も自分も慣れてしまっている。なんともうまい具合に出来ているものだ。

また今日もダラダラと綴ってしまった。明日は朝から夜まで新しい場所で知らない人たちと話す予定。どうなることやら。全く合わない人ばかりなら、それはそれでわかって次会うのをやめたらいい。とにかく全力で話すか~。

では今日はこのへんで。