常に生存戦略を間違えている間に長い人生が終わった・・・なんて、大往生だ。

日々は過ぎている。あと15年ほどすると70歳位になる。今周りで町内を手伝っている人たちの年齢だ。やはり人生とはあっという間なのだな。自分がやりたいことをやれる人生で一番若い時というのが今なのだ。それはよくわかっているのだが、コレといって大きな目標もないし、日々気がついた出来事から考えて、今出来ることは何かなぁと思い手をつけるという繰り返しである。たぶんそれが平穏な毎日を送っている証拠でもある。幸せというものには間違いがない。ただ、ぼーっとし過ぎているので、あのときやれていればとか、後々になって思い出したように後悔するものがたくさんあるのかもしれないな。

最近周りの変化が大きくなったせいで、それまでははっきりと気がつかなかった、自分にとって大切なものを目の当たりにしていると思う。大切なものを大切にはしていると思うから、それについては後悔は常にない気もするが、当たり前に思っていて大切にしきれなかったことというのはいくつかあることを感じる。生きていると、時間に限りがあるのだ。大切だゾーと慈しむ時間というのは限られているということがよくわかって来た。何かしら理由が発生して、大切に慈しむということが出来ないことなんて、多々ある。忙しいという言葉を使ったり、今は気が乗らないからと慈しむことを後回しにしてしまう自分もいる。まぁ、それはそれで仕方のないことだというのも感じている。そのときの自分では精一杯だから仕方ない、こんな感じなのだなぁと納得している。

そういう感じで生きて来たとしても、今はもう少し余計に大切にしたいと感じた瞬間は十分に慈しもうと思う。物事には限度というものがあるが、生きている時間というのは限りがある。だったら、自分の濃密な思いを十分に発揮してそのとき集中出来る限りを注ぐというのもいい。度が過ぎるよ、というような慈しみ方でも、後から考えて見たらあれで良かったのだと思えるよなぁ。

子どもでもパートナーでも友人でも、ある一時期ゾッコンで愛情を注ぐのはいいんじゃないだろうか。たとえ、その時限りだとしても、十分に。その後の未来は誰にもわからないのだから、ほどほどなんてものは要らないよなぁ・・・。

さてさて、今日も下らないことを書いている。毎日、自分は何かを成し遂げようとは思わないせいだろう。頼まれた日にケーキ屋を手伝い、美味しい物を食べ、ほとんどの時間をアニメや映画を見て、あとはピアノと歌の練習をして英会話の本をほんの少し読み進める。何かを成し遂げようと希望が湧いている若い人たちを見ては素晴らしいなぁと、今この年齢になって思う。

アレやりたい、コレやりたいというものが自分は本当に小さく身の回りのことになった。いやー、それでも全然良いのだ。むしろ、なぜあんなに身の回りのことに関心が無かったのだろうと思う。自分自身のことに目を向けるということよりも、広大に広がっている自分の周りに目を向けてばかりいて、自分なんていうものの姿は目に入らず二の次だったんじゃないだろうかと思う。それだけ、周りのものがキラキラして見えたのかもしれない。

いつから自分の姿を客観視出来るようになれたのだろう。いや、出来るとは言えないか。単に自分の素の姿に「アホだな。」とニッコリ出来る程度にはなったとは思う。戦闘を繰り返して滅茶苦茶死にそうなのに、自分の体がある。あれ?生きている?と気がつくようなものかもしれない。過去にはその程度の生存確認が常に行われていたと思う。そのことが自分をとりあえず生かしていたんだろう。

いろんなことがあっても、生きていたと思うことの繰り返しがあってこそ今があるのだ。生きている長さというのは貴重なのかもしれないなぁ。上手く出来ないことばかりで生存戦略が大抵失敗しても、今も未だに生きているのだから、まぁそれほど悪くない自分がいるということなのだろうと思えるようにはなったのだよ。たまたまかもしれないが。でもその「たまたま」は結構すごいことなのだよなぁ。だって、たまたま死んじゃう人もたくさんいるわけなのだから。この世に存在すら出来なかった人もいる中で、こうして生きているというのはかなりラッキーとしか言いようがないよな。

とまあ、今日はこんな感じでぐだぐだと考え事が迷走しながら一日が過ぎている。他の人から見たら、人生という時間、命の無駄遣いかもしれない。でも存分に自分を使って生きて行けるのは自分しかいない。代わりに差し出せるものでもない。先ほど書いた「慈しむ」という言葉を使ってみると、自分をどんな方法でも慈しみ尽くす時間には限りがある。なのに、慈しみ方もどれが適切なのか、どれを選んだらいいかわからない。結局、いろんなことを試すしかないのだ。それを探している間に人生終わっちゃうよ~と言われても、そんなものなのだろうな。

明日もケーキ屋だ。では今日はこのへんで。