ひどいだろう?書いていない日が続く。悩んでいるならば書けば良いのに、今は書いていない。メールを書くことさえ戸惑うくらいだ。今までやたらに文章ばかり書いていた生き方とは決裂し始めている。半世紀生きているのに、今も落ち着くことなく、これでいいのだと思う生き方を探してしまう。別に今までのように生きていればいいのに。
・・・とそんなことを思いながらも、それほど悩まなくて済んでいるからか、日々は淡々と過ぎて、何事もなく穏やかに進んでいる。おそらく、家族が家にいて、何かしら日中予定を組んでは出かけて疲れて帰って寝ていることも大きいのだろうと思う。そのためにいつもよりも散財は続いているが、今は今しか出来ないだろうことを優先的にやっているから、お金を遣うのも、時間を費やすのも「いい」と思って過ごしている。
10歳以上年上の人が周りに多いせいか、自分にはまだ気にもしない若さがあって、動くことも当たり前のように出来ることを思い知らされる。自分が好きな食べる行為も、眠るという行為も、いつしか苦痛を伴いながら「やらなければ生きられないから、どうにかやろうとしてやっている。」という行為に変わって行くのだということを知る。今、こんなふうに当たり前にケーキを味わうことが出来ることや、お金さえあればどこへでも行こうと思ったときに難なく行ける体があること。何も気にしないで思ったことが出来る今は、誰でもいつか無くなってしまうものなのだなと感じている。長生きすればほとんど誰もが味わう「年老いて行く」という感覚。そう、今はまだ自分は動ける。ありがたく思い、それを存分に謳歌しておこうと思っている。最近の日々はそんな感じである。
若いうちにたくさん経験をしておいた方がいいなと思うのは、体の動きや思考の仕方だろうなと思う。想像でしかないのだが、一度でも使ったことのある体の動きはそのための神経が作られて、使わなくなったときに使おうと動かそうとしたら、動きにくくはなっていても昔の動き方を思い出すように動かして行くのは容易いと思う。一度引いた神経の伝達を復活させるようにサポートすればいいのだ。反対に、一度も若いときに動かしたことのない筋肉については、新しく神経を作るというのは至難の業じゃないだろうか。新しい経路を作って、その周りの筋肉に命令することに慣れて行って・・・と出来ないことじゃないけれど時間がかかりそうなもの。だから若いうちにいろんな動き方をした方がいいなと思って、体をいたわって出来る限り・・・ではなく、出来るように動いてみようと試しているところだ。まだ怪我をしたとしても復活出来る余力もあるわけだしネ。
同じように、思考の仕方も、何もないところに新しいものを広げていくというのはとても難しいと感じるのだ。若いうちだったら、好奇心がたくさんあって、知らないことが幸いして後押ししてくれて、多少の恐怖にも負けずに知らないところに挑んで行けるだろう。少なくとも試してみようかな?と思える機会が何度かあるはずだ。だが、年を取って行くと、ある程度経験して「知った」ようになり、いろんな理由をつけて新しい発想を排除して行くのは目に見えている。
頭の中なんて、常にラクをしようとしている。新しい物であっても今までと同じことだと分類して、まとめて収めてしまうものだろう。出来る限りストレスがかかって無駄なことは判別して避けて処理して行くのだ。そうやって頭の中の古いファイルに分類して収めて、無かったことになって、新しい思考の仕方を避けてしまいそうだ。たぶん人間は経験の中に整理して紐づけして、埋没して行くことでラクをして、心の中の安泰を得る気がする。まぁ、自分のことなんだけれどね。新しい分野のファイルが増えることがほとんどないのだ。
そう思うこともあって、まだ若さを知らずに生きていられる間に、体験して来なかったことをとにかくやっている日々である。自分は繰り返しの練習は得意である。でもね~と思う。だから今はそれを敢えて避けている。何かを発想をしたときに、理由をつけて今までやらなかったことが多い。やったからと言って新しくなるかと言ったらそうでもないかもしれない。それでも「無駄かもしれない」と思いつつも、即やっている。そうだな、わざと無駄なことを重ねているのかもしれないなぁ。
さて、これからまた出かける。今までのパターンなら時間が遅くなって、もういいやメンドクサイと言って動かなかった自分に、新しい体験をさせているところだ。暑い季節、ご自愛もほどほどに~という感じで。涼しいところにいるよりも、暑いところへ行く。訓練か?
では今日はこのへんで。