悪い方向だと分かっていても、そちらが最善だと言いながら他人も自分も舵を切る。

逆行しているのは世の中なのだろうか。欧州もあれだけ脱原発という方向で動いていたのに、逆方向へ舵を切り始めた。人というのはあれだけ恐怖したことを簡単に忘れる。それよりも恐怖に陥るかもしれないというリスクをも踏まえた上で、世の中を動かすことを優先せざるを得ない事情があるのだろうとは思う。ダメだなと思うことを今更全部止めることは出来ない、だからどのリスクをどの程度取るのか、というところに今の世界はあるらしい。

例えば体に悪いと分かっていてもこれらの汚染された食品を食べる方が今生きられる人が増える、とか。あれもこれもどれも、止められないとか無くすことは出来ないという。ただ、それって本当のことなのだろうか。先延ばししながら、じわじわとでも確実に死に近づいているのかもしれないな。困り始めるのは自分の時代ではないから、もっと先の未来に生まれて来る子どもたちに託すような、そんな責任逃れのまま自分勝手に生きているのが今の暮らしだろう。

あーあ、である。本当なら○○した方がいい、とか思うことはたくさんあって、その中で自分の出来る限りのベターを探して手をつける。絶対的にGOOD!みたいなものはもう無いのかなぁと感じる。まぁ、複合的に混ざり合って紐解けない絡み方で社会も自然界も成り立っていて、簡単には出来ないことばかりだ。きっと自分が生まれる前の数百年前の歴史だって、全てが上手くいい状態であった、などとは思わない。今と比べるとイイのでは?という範囲だろうと思う。誰かが言っていたように、社会や文化や生物の営みは、ずっと進化し続けて改善されて行くものだけれど、その先は成熟して無くなるというようなことも頷ける。それがいい未来なのか、悪い未来なのか、結局のところ自分はお目にかかれないけれど、自分の人生ではコレを選ぶというふうに、きっと良いであろうと思う選択をして生きて行くしかないな。

と書いておきながら、体に良くないとわかっている物を口にすることが出来てしまう自分。恐ろしい。長い時間の中で暮らしに当たり前のように存在し、慣らされて来たのだと思う。生きて来た時間はたった50年ちょっとだけれど、地球から見たら一瞬だが、自分にとっては長いと感じる中での選択だ。慣れとは自分の人生を重ねて行けば行くほどに、「きっとすぐには死なないな。」という程度の判断で、体に悪い物を口にしてしまう。目先の味わいに囚われているのだなぁ。

数か月ぶりにポテトチップスをなぜか今日は買ってしまったのだ。今から自分の体に悪いことをするのだ。随分わけの分からないことをやっている生き物だよ、自分は。そんな自分に幻滅する心があるほどにはかわいくない。どちらかと言えば堂々と悪だな。せめぎ合いで自分の中の悪が勝った。こういう気分だからポテトチップスを買ったのだろうな。今から食べる。では今日はこのへんで。