たぶん、今後は変化があるだろうなぁと思う。家の前の畑は2月末で貸すのを止めたそうだ。誰かが畑の土地を買って、住宅にするのだろう。このまま畑を継続出来るとは思えない。今まで朝日を浴びながら畑の緑やそこに集まる鳥や小動物の様子を見ながら30年ほど生きて来た。結構長い間、自分の目を楽しませてくれていた。本当にありがたい。今度は雨戸を開けて、壁しか見えない・・・となるのかと思うと、つらいのだ。それでもこの土地で生きるのか?面倒くさがりな自分はズルズルと「嫌だなぁ」と思いながら暮らすのかもしれない。それとも、自分で暮らしやすい風景を作ることに努めていくのか。引っ越すことも考えたとしても、簡単に踏ん切りはつかない。屋根を直したばかりだということもある。うーん。
今まで強い風が吹く日は死ぬほど怖かった古家である。特に畑の方角から吹く風は台風に限らず、家を揺らし続けた。けれど、その風通しの良さは夏の暮らしに心地良い風を家の中に入れ続けてくれていた。他の家よりも古いこともあって通気性が良いことと、窓の多さが家の中の気温を2、3度位は下げていたと思う。想像でしかないが、エアコンがついた家に囲まれると、その排気の熱風に今後は悩まされるかもしれない。とうとう自分の家にもエアコンを入れないといけないかもしれないな。
まぁ、それでもこの長い年月の中で、存分に自然の環境を楽しませてもらったことに変わりはない。自分の寿命があと何年かわからないが、もし20年ほど生きて行くとしたら、その20年を我慢して生きて行くのは無理だろう。自分はどうするのだろうなぁ。まだ実感がわかないので、暫く様子見ではある。自分が今後どう生きたいかを考えるきっかけにはなるよな。
つらいなーとは言っても、いつもいつも四六時中畑を見ているわけではない。朝と夕方が中心。月が出ていたり、流星群が現れる日になると、部屋から空を見上げていたという感じである。開放的な場所ではあったが、見続ける場所ではない。これを書いているときだって、背を向けている。だから単に贅沢な場所に今はいるということだ。だんだんと世の中や周りの環境が変化して行く中で生きている。これについてはどうしようもないことなのだ。自分だって変化しているのだ。だから自分もさらに変化して行くしかないよなぁ。
以前は素敵な山が見える方角に窓があった。夕方や晴れた日に山を見ながら素敵だなぁと思っていたのだが、新築工事をしたご近所が屋根を高く伸ばしたことで、その風景がちょうど隠れてしまった。そんなこともあるのだ。あのときはとても残念に思ったが、外へ出て少し歩けばまだその風景を味わえる場所も残っている。そうやって、自分の暮らし方を変えて、「自分の家から見る」という風景にこだわる必要は無い。体が動くうちは外へ出るきっかけにもなるし、もしかしたら、新しい暮らし方を考えるきっかけになり、暮らし方等を改めて自分を成長させることも出来そうだ。
今までの暮らし方ではマンネリしてしまうところを、ある意味運命みたいなものが自分に変化をもたらしてくれる。そう思う。畑が無くなった風景によって自分は今後もこの家で暮らすことでどんな影響がもたらされて、どんなことを考えて、どう動こうとするのだろう。もう、ワクワクしてしまおう。
あちこちの大きな家が壊されて、新しい住宅が建つ予定の場所が増えた。そんな話をしながら地域の食事会の手伝いを一緒にしていた人と帰宅していたら、狭い土地にとてもおしゃれな植物を工夫してたくさん飾り、育てているなぁと思っていたお宅の人がその人だということがわかった。なんと。屋上にも植物を育てていて、常に緑が溢れているお宅だ。きっかけがあれば一度この家の人と話をしてみたいと思っていたのだ。変化は突然訪れるものだな。借景の畑は失うが、自分の庭に育てている木々の緑の育て方のアドバイスを受けて、自分の庭では自然を感じられるように出来るのではないだろうか?新しい暮らし方に変化しそうだ。楽しみである。
では今日はこのへんで。