カミの領域までは入りませんが、人の領域ならズカズカ踏み込んで行きます。

体のほころびが出て来る年頃である。筋トレなどもするようになって、足も軽やかに踊れる位にはなって来たが、今までにない体の部分のあちこちの故障のようなものが出て来るようになった。自分で改善出来るものはどうにか出来るが、それでも全部に対応するのは難しい。まるで、揺れる船上で100個以上もある水をたたえたグラスに蓋をしてこぼれないようにしているのに、蓋をしても少し時間が経つと外れてしまうようなことの繰り返しを、延々としているような気になる。そんな感じにぽこぽこと、次から次へ出て来るようになるんだろうなぁ。それが老化というものなのかもしれない。

この間皮膚に出来た硬い小さなしこり。暫く様子を見ていたが、大きくもならないが小さくもならない。気になったままでいるのも良くないし、触ったときに慣れないものがそこにあるという感じで気持ち悪い。近くの病院を探して急遽行ってみた。

以前行ったことのある形成外科は開いていなくて、開いていた新しい皮膚科に行くと、長い時間待たされた後に診療を受けたが、そこでは治療が出来ないと言われた。皮膚科は外科としての対応が出来ないのはわかっていたが、結局「たぶん良性ですね。」としか言えないらしく、触診だけで検査らしい検査も出来ない状態だったので、紹介状を書いてもらうことになった。

良性だと思うけれど、見極めたいならエコー検査して、切除して、病理検査に回して…と説明を受けたが、そういう面倒なことを聞いたら紹介状はイイですと断る人も多い。おそらく、この程度なら「そうなんですね。良かった。」と安心して終わるものだ。だから、「ではお願いします」と言ったので、先生も看護師も面食らったかもしれない。それ位、小さな皮膚上の出来物だ。けれど、自分としては「たぶん」というのはわざわざ医者にかかった意味がない。

それに、今までの人生で自分の体に見たこと無いものが出来たのだから、小さくたって腫瘍は腫瘍だから、ガンだったときに後悔する。ずっと何十年も病気に一切ならなかった親が体質が大きく変わって来たなぁと思ったときにガンになっていたことを考えると、「たぶん」というのはずっと気になったままで何も解決しない。

せっかく気が付いたのだから、書いてくれるなら紹介状を貰って大きな病院に行くのだ。あっち行って、こっち行って、と面倒だけれども。自分ではどうにもならないことでも、ちょっと望めば他人がどうにか出来る問題で、どうにかしてもらえる範囲なら、そのわかっているとこまでやってもらおう。その先は安心はないかもしれないが、やれることはないなと諦めもつく。

それにしても、ただ生きているだけで変化は刻々とあって、今まで経験したことのない「感覚」を味わっていくのだなぁと思う。新しいことに苦痛が伴うのは、もしかしたら若いときと同じかもなぁ。とにかく何もわけがわからないこと、痛みを伴うこと、ほんの少し先が見えず不安になること。最終的には誰も教えてくれない「死」が待っていて、先達から生きているときに学べることはいっぱいあるのに、そこから先は誰も知らない。そこに向かうまでの間については、他の人から学びながら準備したり自身の選択も出来る。体験するのは自分自身だから、もちろん同じじゃないことが多くて違うことばかりかもしれないが。うーん、新しいフェーズに入ったのは間違いないぞ。ここからもドキドキの毎日だろうなぁ。

では今日はこのへんで。