オカゲとセイはどちらも同じ価値があり、後は自分の動き方次第ですねぇ。

週末はピアノの発表会と友人とおしゃべり、ケーキ屋での手伝い、小学生相手のボランティア活動へ行っていた。その合間に、親から連絡が入り、またお金が足りない、銀行から下ろして来いと言って来たので、引き落とされる分を残して残高はもう無いよと伝えると、怒鳴って来る。話にならないし、話を聞く時間が無いことを告げて電話を切ったが、それまでの楽しい気分がガタついた。

けれど、気分というものは自分で変えるものだ。何らかの方法で自分をいつだって立て直して、楽しい気分に戻して行く。負の感情をぶつけられるとけして気持ちの良いものではないし、どよーんという音が自分の体の周りで響いている気になる。それでも、だ。まずはその「どよーん」をしっかりキャッチして、一体何にどよーんとしたのかを明確に知るようにしている。

知ると、結局自分の問題ではないのにまるで自分のことのように思わされてしまっていることに気が付く。親の問題を子どもは自分の問題のように考えがちだな。危ないよな~。お金が無いのは親の行動や嗜好や思考が問題となっての結果で、私が何かしたからこうなった訳ではない。根拠のない責めを受けていた。結局、親は自身の行動の責任を他人のせいにするようだ。言われる筋合いのない責めを引き受けないことにしよう。そんな要らないどよーんは捨て行く。一刻でも早く、自分のためにいい気分でいよう。

いい気分を取り戻して行くために私は書くようにしている。紙に現状を書いて、自分が親に対して出来ることを考えてみた。出来ることがあっても、したいことでなければしない。それでいい。何に対して自分は嫌だなと思っているのか。どんどん書き出す。紙に書いて大分すっきりして来た。ただ闇雲に親の話を聞いても仕方ないし、巻き込まれてしまうだけで問題の解決につながらないことになっては聞いている時間も無駄になるし、本末転倒だ。

誰かに相談する際にも、まずは自分が現状を整理する必要がある。誰かに内容を伝えるために、自分がどう思っているか、何を望んでいるのか、何に傷ついているのか等、明確にしておきたい。何から話せばいいのか、自分でまとまっていないと相談すら難しい。まずは客観的に自分で見つめるしかない。もちろんすぐに誰かに話しに行くのもいいのだろうが、今日はこのモヤモヤをひとまず形にして行こうと思って書き続けた。夜書いて、朝書いて。自分が解決出来る物事とそうでないことの区別。自分が悩むべきところはどこなのか?無駄な悩みを抱えていないか?など書いていた。不思議と書いているだけでかなり気分は良くなるものだ。

で、今日のブログを書くに至る。困ったことに、親というものはずっと生き様を子どもに見せていることになる。自分にはキョウダイがいるのだが、そのキョウダイは親元に残って一緒に暮らしている。親がしている物言いと同じ言葉を親に向かって吐いているのがキョウダイだ。ずっと親の背中を見て来たからだろうと思う。こちらから見ていると行動がそっくりなのだ。鳥かごのインコのように「アナタノセイ」という言葉を繰り返して生きている。

こちらからすると、なぜ親元にずっと暮らしているのか不思議である。結婚して籍を入れているのに別居婚で、収入は不明、親には顔を会わす度に早く死○と言っている。まぁ、人生のすべてが誰かのモノ、つまり親のモノのように生きて来たと思っているのだろう。だからなのか、いつまで経っても家を出ることはない。こうなったのはお前のせいだ、と言いながら親の家にしがみついて、親の居場所を奪いながら生きて行くことで恨みを返しているかのように見える。暴言を吐くことで、お互いに何かに怯えて傷つけあいながら生活を続けている気がする。共依存みたいなものかもしれない。自分の人生を生きようとしない。彼らの人生の責任は誰が取れると思っているのだろう?自分自身が結局自分の人生の責任者じゃないのか。それでいいのか?と思ってしまう。

だからこそ、自分は自分の人生を生きたいと思っているのかもな。あの二人の反面教師がいたからこそ、ああはなりたくないという教訓を得ている。ちなみに、自分が一緒にいる家族は同じものを見て来ていて、同じような見解を持っているせいか、それぞれが自分の人生を勝手に生きて行くというのが当たり前のように感じている。仲が良くても、一緒に暮らすのはあまり良くないなと思っているところもあるなぁ。家では、アナタノセイという言葉を聞いたことがない。アナタノオカゲで、というのは発することがある。「アナタノセイ」と「アナタノオカゲ」は同じようなエネルギーの強さが人の間を流れて影響し合うのに、こんなにも違いが出る。うん?ちょっと試しに使ってみるか。

お金が無いとイラついてばかりいるアナタノオカゲで、お金の遣い方をしっかり考え、人に借金はしないで、自分のお金の問題でイラつかなくても生きられる人として私は育った、ありがとう。うまく行かない自分の人生を人のせいにして苦しい怒りを暴力という形で表現をしているアナタノオカゲで、自分の人生を人のせいにはしないことと、どんなに苦しい怒りも暴力という形にはしないと決めて生きて来られたと思う、ありがとう。なんてね。ほう。そうか。感謝の言葉が続くのだな。相手の行動がこうだった、ああだった、に続くその後に自分は何を思い、どう動くのかなのだな。

では今日はこのへんで。