最後に会ったのはいつだったか思い出せない人と昨日は会って来た。直前に「全く知らない人」みたいになっているはずの人と会って、私は何を話すのだろう?と一瞬思ってしまったが、待ち合わせの場所に行くと、すぐに遠目からでも友人だとわかって向かって行く。会って声をかけ始めたときにはすでに「昨日バイト先で別れた人」のように話をしていた。何かが変わったとしたら、人生で経験したことの記憶がたくさん詰まっているということだけ。ひたすら食べたり飲んだりしながら、あっという間の6時間。夕方になって、親が検査で引っかかり今日は再検査に行っていて夕方帰宅するという話を聞いていたので、私もそのタイミングで別れた。
友人は年賀状を他のほとんどの人に書くのを止めていたらしいが、私の年賀状の言葉が胸に留まり、どうしても毎年書き続けていたそうだ。知らなかった。いつも必ずくれるから、こちらに届いたら遅くなっても返事を返していた。どうやら必要な言葉を必要なタイミングで渡していたらしい。それに、会ったときに話した自分の言葉を友人はよく覚えていた。自分がかつて過去に放った言葉が自分に戻って来て、記憶がよみがえって来る。もちろん、自分が覚えていて相手が忘れていることもあり、お互いに共有した時間というものをお互いで補填する感じだなぁと思った。そばにいなくても、この世界のどこかで相手が生きているというのは、自分が忘れてしまったとしても今まで自分が生きていた時間を何らかのタイミングで共有することが出来るのだなぁ。
長生きした高齢の方が昔の記憶を共有する相手がいなくて寂しいと言う姿を見て来たが、今はまだ自分には相手が生きていてくれていることを改めて感じた。ありがたい。これから人生の後半にそういう存在がお互いに出来るだけ長くいられますようにと願う。どうしたってこれからは消えて行く一方なのだ。寂しくなるのは長生きした方となる。付き合うってことは別れはやって来る。生きていて付き合えている間はじっくり楽しんでおきたい。
ところで話は変わるが、カメムシが最近目につくようになった。ほとんどは殺虫剤などをまかれて家の外に転がっている姿だったが、自分の家の窓にもくっついていたのを目撃した。ガラス窓だ。どうやってくっついているのだろう?窓ガラスの凸凹に上手に引っ掛けて留まっているのだろうか。こちらが気が付いても動かないでいる。きっと、このままやり過ごして、ガラス窓外に付く→網戸内側へ付く→雨戸を閉められてそこで一晩過ごす→家主が存在を忘れた頃、朝雨戸を開けるタイミングで窓が開いたら室内に侵入する経路かなと思う。まぁ、もっと知らないうちに堂々と入って来ているのかもしれないが。外にくっついているからいいや、という対応ではいけないのかもしれない。家の中でそろそろ越冬の準備を…と考えているのであろうか。油断大敵である。
油断と言えば、鳩が家のフェンスをのんびり歩いていたのを何度か目撃していたことを思い出す。見る度に「ここを暢気に歩いていたら猫に襲われるぞ~」と声をかけていたが、その声が届くはずもなく、大量の羽が隣の家の裏庭にあるのを先日発見した。きっとヤラレタな。相手は猫か、アライグマ、またはカラス?でも、発見現場のすぐ横にあるエアコンの室外機の上に黒猫がいるのをよく見かけたから、もしかしたらその猫かもしれない。鳩にとっては束の間の息抜きだったかもしれないが、警戒して油断はしないようにしないとな。と、書いている途中でウトウト。PCの画面が落ちている。油断した。
今日はこのへんで。