今日はぼーっとしている。朝は早めに起き、片づけたり、柿の実を収穫したり、まぁいろいろやっているがそんな状態。水に浸けていた昆布を取り出して小さく切り、煮る。普段のご飯のお供にしようと思って作っていたが、気温も低くなって乾いていて、漂う昆布のにおいはお正月の準備をしているかのようだった。あと2か月半位で実際に年末が来るなぁ。何を用意しよう?
最近の一日一日が長いとは思わないが、それでも時間がゆっくり流れているなぁと思う。なにせブログを書く時間も取れるし、友人とのランチも行ける。ピアノの練習もしているのに、本を読んだり、ダラダラとTVを見る時間さえある。おおぅ。食事をしている時間も相変わらずゆっくりだ。この生活の何が一番良いかというと、たくさんのことが出来るということではなく、まだ時間がたっぷりあるなぁとふとしたときに感じられることだ。とくに何もしなくて一日終わっても、焦る必要がない。それがいい。
ボランティア活動が予定表に詰まっているときは何となく辛い気分になるが、そこから解放された後は自由を満喫。そう、たまに思うが、ボランティアは頼まれて引き受けたこともあって、義務のようなところが自分にはあるのだなあと感じる。それでも続けていられるのは、担当している人たちの雰囲気が違う場の種類がいくつもあるからかもしれない。人が少ない環境で固定された人間関係も心地良いこともあるが、流動的な場である方が自分は楽なのだろうと思う。気分が常に変えられるのがいいのだろうなぁ。いつも同じ人と一緒に落ち着くよりも、ハラハラして初対面の人と話す方が面白く感じてしまう。違う刺激というのがいいのかもな。
ただ、自分が人を気にしていない部分が多くてそうなっているのであって、もしかしたら人を気にして生きているのが当然のような人は、きっと常に意識して刺激はあるのかもしれないな。常に刺激を受けてしまうような人とそうではない人との組み合わせで場が何とかなっていたりして。気にしている人と気にしない人の組み合わせだとしたら、私と出会った「気にしている人」はきっと大変な思いをしていることだろう。まぁ、人を気にするタイミングやポイントの違いかもしれないので、一方的ではなくお互い様だと思うのだがどうだろうか。へへへ、気を遣って下さりありがとうね~。たぶんこちらも、あなたには知られずに違うところで気を遣ってるんだよ。よろしくね、だ。
こんな感じの自分だけれど、昨日連絡をくれた人がいる。最後に会ったのはいつだったかわからない位、昔の、学生時代のバイト先の友人。遠くに住んでいるが、こちらにある実家に暫くいるとこのことで連絡が入った。「久しぶり過ぎて誘うのに少し勇気が要った」とのこと。確かにお正月の年賀状を出し合い(いや、相手の方がマメだった)、たまに年にメールで数回やりとりがあるかないか。それでも細く繋がっている縁だ。姿・形も変わっていることだろう。当日ちゃんと会えるだろうか。見ただけじゃ、わからなかったりして。ははは。同窓会みたいで面白い。長い年月があってこそ、出来る体験だ。思い出してくれた上に、勇気を出して声をかけてくれたことが嬉しい。なかなか出来ることじゃないもんな。相手のことを思っていても、何もしなければ疎遠になるなんて、ホントに簡単なことだから。友人の勇気に感謝。
では今日はこのへんで。