ボランティアの会議の後、期日前投票をして来た。自分が来た日はほんの少し並んでいたが、前日に来た人たちはもっと大勢いて、建物の外まで投票するのを待つ人たちが並び、4、50分は待っていたとのこと。今日で良かったですね~と案内係の人に言われたが、自分も実は前日に行こうとしていたから、本当に良かったかもしれない。
一緒に選挙に来たボランティア仲間が、こんなに来ているなら投票率が上がるのではと言っていたが、元々投票しようと思っている人が当日は止む無く出来ないから来るだけで、全体の投票率を考えたら違う数字だろうと思う。今回の選挙は荒れるのかなぁ。私はいろんな政党がいるのが良いなと思っているので、偏らない方がいい。いろんな視点でいろんな声をいくつも散りばめて、その上で物事が決まる方が良いなあと思う。人気のない人に入れることが多い。
特にこの政党、というのはない。誰がどんなことを言っているのか、言っている内容がこれしかないのか、と毎回思うことも多い。自分が出ていないんだからしょうがないよな。とにかく選んで投票する。せっかく与えられた一票を使わないなんてもったいないのだ。
自分が投票を入れた人がその後どんなことをやり続けているか、その後もしっかり見る必要がある。放ったらかしにしてたら、言っていることとやっていることが違うよと言えなくなるから、今後も見る。ダメだな、と思ったら、自分の持っている一票をちゃんと次に生かすようにする。自分のこの一票が、次の自分の一票に繋がっている。政治家のことより、自分への指摘をするために、毎回入れているのかもしれないな。この一票は適切だっただろうかと。
話は変わって、ここ数日、お金の勘定をしている。家計簿を見て、見直しを計ろうとして自分の行動がどうだったかを見る。まず、一人の外食が減った。以前なら外食してもいいようなタイミングで、最近は敢えて家でご飯を食べるようになった。外で食事をしても、その後帰らなくてはいけない面倒くささを考えると、たぶん家で食後にゴロゴロ出来てすぐに寛ぐことが出来るのが魅力だからだ。
また、自分を満たす食べ物というのが変化して来た。家でも十分に満たしている。特別な料理をしているわけではないが、好きな物を食事としてしっかり食べることが出来る。それに比べて、金額的にも外で食べると偏った食事になりやすいなぁと思うようになった。おそらく材料の値段が上がり、今までよりもこちらが高い値段を出さない限り、自分の満足出来る料理が出て来なくなったと感じるせいだろう。
そうなると今外食にお金をかけるのはどうなのか?と思うようになった。自分で自炊した料理の方が食卓が豊かである。なので、友人らと出かけるときにある程度予算を決めて、少し高いものを楽しむための外食というのを優先することにした。あっという間に一人での外食は削減されている。
外食の次にテレビをどうするか、保険をどうするか着目している。テレビに関しては民放をほとんど見なくなった。映画やドラマをネットで観てしまうと、テレビを介して、テレビそのものの番組を見ていないことに気が付いた。情報をどこまで、何を使って得たいのか。放送局という大勢の人が関わって出来ている信頼性を重視するならば、既存の放送局が発信しているものを見られれば済むことかなと思う。来年契約が切れるタイミングでテレビは処分の対象になるかもなぁ。まだ未定である。生活が変わるとまた変わる可能性があるので今は保留にしているが検討の余地は多分にありだ。
保険についても、数年後に解約払戻金と保険金額が同じくらいになる頃に解約もいいのかもしれないと思っている。予定している医療費や死亡保障も元々少額で、その分の貯金があれば賄えるものだ。長年担当してくれていたFPが退職が近いのもあって、その頃に解約してもその人に売上等影響は無いかなと思う時期でもある。支払った額は確かに多いのかもしれないけれど、その人に支払う手数料も含まれる。何より、保険を使わずに今まで健康でやって来られたことを感謝だな。収入も高くなることもないから、高額医療費の限度額も低いはずで、今後はその差額の分を少し分けて貯金しておくだけにしようかと思う。準備し過ぎても自分のやれることには限界もある。
とまあ、家計を見直し中。削れるところを削って、気持ちがより楽になる生活をしようと思う。ただ、削ったところは投資に回すようなことはしないなぁ。他のことに使うのだ。いろんなものを削って削って、投資に回している姿をネットで見て知り、ちょっと怖いなあと思ってしまうのだ。
その姿は、ミヒャエル・エンデが書いた「モモ」という作品だったと思うが、あの中に出て来る時間泥棒にそそのかされている人々と同じ感じがするのだ。時間を貯金しているはずなのに、どんどん奪われているみたいな姿にどうしても見えてしまう。今を我慢して貯める増やすより、お金も時間も今いる自分のためにしっかり使いたい。全部使え、とは思わない。適度にしっかり使いたいと思うからこそ、削るところは無いかと検討する。我慢は必要ない方がいい。いつまで生きるかも自分の生きている時間の保障などない。かと言って、長生きするためのお金も必要。常に天秤にかけつつ、ただ今いる自分に正直に生活はしていたい。
では今日はこのへんで。