地域センターのようなところでお祭りがあり、手伝いに行った。町内の運動会が同時開催日。やりますよ~と朝早くに花火?の音がする。運動会に今まではよく通ったが、ボランティア先でこれからはお祭りの手伝いが毎年になりそうだ。
この間募金活動を手伝っていた子どもたちもお祭り内の小さな子ども向けの活動に参加。男子はよく動いていた(座っていられなかった)ので、遊びついでに輪投げ担当をしていて、細かい作業である折り紙のコマとゆらゆら揺れるテープ細工の説明を女子がしてくれていた。朝来てから作り方ややり方を覚えて、すぐさま他の人に伝えられる力があり、混雑して来ると人に声をかけて誘導も自然に出来ている。ボランティア活動に参加してみたい、と思う子どもは元々そういうことが好きなのかもなぁとも思うが、みんなそれぞれ得手不得手があるのだなと見ていて思う。ここ数ヶ月の間数回接しているだけだが、個々に変化していて、昨日の今日会っているような関係じゃないからこそ、成長に気が付くし、親子の関係も何となくわかって来て、外から見ているというだけでもわかることも結構あるんだなと感じた。
まぁ、まだ小学生。日頃のフラストレーションをどうしようか困っていたり、家庭内のことを外に見せるかどうか迷う羞恥心があったり、将来に対する現在の時間の使い方も悩んでいるようだ。大人と変わらないよな~。とは言え、一方で好きなことも楽しそうに話している姿を見ると全然私自身が興味ないことだったりしても面白く見えて来る。エネルギーの違い?同じ物を持っている人を見たら「同じの持ってるよ」と相手に話しかけて嬉しそうしている。こもってばかりの子をちょっと施設内を回ろうと誘えば他の子も「オレも行く」「私も行く」とゾロゾロついて来る。お腹空いた、喉乾いた、これやってもいい?常に率直だ。本人たちも会った前後でいろいろ思うところや反省点も浮かぶのだろうけれど、目の前のことに素直に反応しているなぁと思って、こちらはとても気持ち良い。腹の中何考えてモノ言っている?などと疑い深く慎重にならなくてもいいからだろうなぁ。
こちらが見ているのと同様に、子どもは自分たち大人をよく見ている。誰に相手をしてもらうのが自分が気持ちいいのかを感覚的に選んでいる。小学生に限らず、さらに小さい子もこちらをよく見ている。単純に大人がどう反応するかを見ているのだ。反応が自分にとって気分が良くなる相手の方がいいよね、そりゃ。ニコッと笑ったときに、ニコッと笑ってくれる人はどの人なのだろうって。そして、いつもニコッとしてくれている人がニコッしてくれないときに「どうしたの?」って初めて思って声をかけるのだろう。その体験の積み重ねで人は他人との関係を知って学んで行くのかなと思う。赤ん坊の笑顔は唯一誰もが最初に持っているコミュニケーション手段だったと聞いていたが今はどうだろう?そんなことを思い出して、満面の笑みを浮かべて何度も追いかけて来て顔を近づけて覗き込む小さな子にこちらも笑顔で返していた。
また、乱暴なことをしたときにすぐ窘めて来て、綺麗な言葉使いを褒めてくれる人は誰だろうとか、嬉々とした表情でこんなことがあったんだ!ということを何々?と興味を持って聞いて一緒に喜んでくれる人は誰かなとか。せめて、それくらいは子どもらがチラッと思い浮かべてもらえる大人でありたいなぁ。何か思いのカタマリみたいなものを投げられて、出来るだけ優しく投げ返す。そんな感じで続けられたらいいなと思う。そしてまたいつか遠くの未来で、小さな子どもみたいになった自分に投げ返って来るものがこの気持ちと同じ優しいものであってくれよと期待している。
片付けをして帰る途中、先程一緒に活動していた男子の一人に会った。今から塾行くんだってさ。「お疲れさま。行ってらっしゃい。頑張るね~。」と言って別れた。私が他の仲間と信号待ちしている間、坂道を登って行く君は何度も振り返った。遠過ぎて、しかも大人になりかけているから、きっと恥ずかしいだろうと思って手は振らなかったけれど、ずっとこちらが背中を見送っていることに気が付いていたんだなと思う。
では今日はこのへんで。