今朝は素直に目が覚めたタイミングで起き上がった。遠くで蝉が鳴いている。カラスやいろんな鳥の鳴き声がする。騒がしいが朝だ。涼しいので朝から書くことにした。
窓を開けたときの風景が、夏に子どもの頃毎年のように行った祖母がいる田舎の感じに似ている。きっとこういうのが気に入ってここにずっと住んでいるのだろうなぁ。ここにはパートナーと別れたときに面倒くさいと思った人間関係もあったし、気分を変えるために別の家に住もうかとも思ったが、この家が気に入っていたせいでどこへも行かなかった。特に朝起きたときに窓を開けたときの風景がとても好きで、この景色が手に入っているのなら十分だろう、と思ってそのままだ。すでに10年以上経ってしまった。
ここから先の10年はきっと今までよりも大きな変化が続くのだろう。一緒に暮らした家族も暮らし方が変わり、以前とは違ったものになったし、自分も一人で暮らすようになって、しかも年齢的な体のガタツキも感じながら暮らしている。地域のボランティアに参加するようになってからは、新しい人間関係も増えた。その人たちは私より20歳以上上の人も多いし、その先の10年、5年先を考えるともういないかもしれない…等と考えて昨日は寂しくなった。亡くなることもあるし、自分のことをわからなくなるほど認知症が進むかもしれない。あれだけお世話になっておきながら、私のことを認知出来なくなって挨拶すら出来なくなってしまった地域の人も今まで何人かいて、存在を失ったようにぽっかり心に穴が開いて、その度に悲しくなった。生きていればお互い仕方のないことだけれど、その繰り返しを続けた先に自分もいつか若い人たちにそう感じさせてしまう日が来る。それでも新しい日々は続くのだ。
少し朝から感傷的だ。なんでだ?まあ、いいか。今日も暑くなるようだ。夜はここのところ28度以下になっていて、よく眠れるし、ちょっと肌寒いくらいだ。窓を閉めてエアコンなどかけなくても眠れるのに、知らないで日々をただ継続していないだろうか。常に状況は変わっているのだから惰性ではなく自分の感覚に目を向けてみるだけで、毎日大きく違っていることに気が付く。
だから性懲りもなくブログも書けるなぁ。自分の中のブログの存在も変わって来た。他の人とは共感しないことだろうな、ということについても書いている。誰とも共感しない部分、それは自分だけの感性でもあるわけだから、自分の中でとても大事にしようと思っている。誰にもピンと来ないことについて、どれだけ書けるのだろう。その一方で、私の書いたものを見て「そういう感じ方もあるんだ」と気が付く人もいるかもしれないなぁと思っている。
また、どんなふうに音楽を聴いているかで、ピアノもどんなふうに弾けるかが変わるのと同じように、自分の周りをどんなふうに私が見ているのかを文字に起こすことによって、自分自身を見ているのだ。今日も少し見えた気がする。朝からやったぞ。よしよし。さぁ、朝ご飯だ。
では今日はこのへんで。