オリンピックが始まるんだってね。カウントダウンされてもピンと来ない。フランスでやるなんて、もっと先のことだと思っていたのになぁ。オリンピックの日を待って楽しむという機会をすっかり逃してしまった。たぶん一ヶ月位して、「そうだったんだ」といろいろ終わった後に気が付く感じだろう。タイムリーに楽しむとかが出来なくなった。オリンピックがどうしてワクワクするのか、忘れてしまっている。
子どもの頃はオリンピックを見ていて、人の能力ってただすごいなぁと思えた。今じゃ何だか政治的な思惑や、開催のための犠牲を考えてしまう。すっかり表舞台に興味が無くなり、裏で行われた出来事がニュースで流れて胸を痛めることが多くなった。情報が目に留まると、大きな晴れ舞台だったものが「何を犠牲にしているのか」と気になって素直に目に映らなくなってしまった。選手の人たちが頑張っていることは素晴らしいなぁと思う。けれど、大きな政治的な目的での動きがあってこその舞台だから、どう世界が変わるのかなぁと不安が過るようにもなってしまった。目をつぶればいいのかもしれないが、何か大きく成し遂げる、変えるまたは動くということは、誰かが何かを大きく変えられて、負担になっていることがあるということだ。
ちっぽけな私も、のほほんと暮らしているということは、気が付いていないところで何らかの事柄の上に成り立っているんだなぁ。何かを成し遂げたりもしていないのにねぇ。そういう意味ではどこか何かの力でたまたま生かされているんだなと思う。これから変わって行くのかもしれないけれど。自分もこのちっぽけな力で大きな何かがじわじわ変わってしまう一因になっている。意識しようとすると、怖いんだよなぁ。すべてをわかるということは出来ないから、すべてに自分の理解と選択や判断を行えるわけじゃない。ただ生きていて、大きな何かに流されている意識もないまま、それでも生かされているのだから、今は安泰なわけで。結局、好きなように思ったように動くしかないよなぁと思う。じっとしているということも出来るけれど、どうせきっとそれでも物事が変わる要因のひとつになっているのだ。逃げても、ずっと逃げていても逃げられないのだ。
朝からオリンピックのことなんて考えて、窮屈になっちゃうんだなぁ。世界が繋がっている、ということは楽しい&素晴らしいと素直に喜べた自分がいた頃は何だかうらやましい。書いていくと、どうも行き詰まる。今日は思考で狭くなった世界を、体を実際に動かして「アレ?広かったんだ。広いんだ。」に戻して行こうかな。
ゴミを捨てに行ってふと見ると、誰かが慌てて捨ててしまったのか、袋が少しの出っ張りに引っかかっていた。ゴミ袋の端っこにスーパーボールが詰まっている。その角を持って、ゴミ箱に入れようとしたが、袋が少し引っかかって少し穴が開く。袋はゴミ箱の中には入っていった。でも球がどこかに転がってしまったか?深くて広いゴミ箱の中に自分の目も手も届かない。ゴミ回収屋さん、ごめんなさい。手間をかけてしまうと思います。謝罪の合掌。蓋を閉めようとしたら、猫砂のようなジャリジャリしたものがまた引っかかって飛び出ているのを発見。何だコレ、とすぐに中に戻し入れたが、砂が落ちていないことを祈る。また破ったかもしれない。音はしなかった。蓋を閉めた。
「おはようございます。」と近所の人と挨拶する。良いことをしたつもりが、手を出したことで、もしかしたら余計なことをしたことになるかもしれない。そのままが良かったのか?近所の人は私がその二つのゴミ袋を中に入れるのを目撃している。どこか後ろめたい気持ちになる。自分の思いとは裏腹に違う事象が起こるもの。それが世の常だなぁ。仕方ない、今日も好きに動くか。
では今日はこのへんで。