昨日一日ため息をこれでもかとついたら、酸素が体に入って頭が回って来た。

停滞中。すべてが停滞中であった。何もしたくないわけでもないが、何もしない日が欲しくなっていた。久しぶりに予定のメモを書いてこなす日々。こなさなくてはならないと思ってしまうような苦手な予定があったせいで、頭が考えることを拒否していた。だからと言って目の前のことを放り出してしまうわけではなくて、意外とするすると片づけて、やることはやって終わっている。

生きて暮らしていると想定範囲外のことではなく、想定範囲内のことが次々起きて来るのだ。どちらかというと「ついに来ました。そのときが!」のようなことばかりである。突然やって来たことよりも、予想していたことがちゃんと来る方がものすごく面倒である。だからそういう未来を考えないようにしていたところもあるが、そういうことを後回しにしていたツケがきちんとやってくるのだ。

ひとつは親のちょっとした病気やそれに伴う親自身の家計の圧迫。散々わかっていたことである。自分が背負う必要は全くない、とも言いきれず、親子というだけでストレスは出て来るものである。

結局のところ、金銭的な問題の一部はキョウダイが家にいるからあやふやになり、今のままの状態を続けていては解決することが無いのだ。困ったことに、こういうとき自分には家族は助け合うものという「縛り」にしか見えない。家族だから、子どもだからと言ってもどこまで関わるか、二の足を踏んで、同じことを続けて来たせいではある。

ああ、でも、自分のせいにしないでおこう。書いていて、自分のせいにし始めたら、自分の生活さえ守れなくなるのだ。自責の念とは恐ろしい。罪を償うかのように自分の持っているすべてをそこに注いでしまうことになり、自分まで一緒に溺れてしまう。それでは次々と他者にも迷惑をかけてしまうことになるのだ。本末転倒だ。

だから家族であったとしても、こちらが助けてあげられる程度だけ助けることを肝に銘じておかないとダメだ。親のことだからと言って助けるばかりで自分自身を忘れ、自立させておかないと、その負の連鎖が自分の子にも繋がってしまうだろう。特にお金という問題では、線を引いておかなくてはならないな。安易に手に持っているお金を渡すだけでは解決しないのだ。

と言うのも、少なくない年金をもらって生きている親である。自分の生活費よりもはるかに多い額だ。けれどキョウダイと親、二人分の光熱費や食費を今でも支払いをしているので負担は多い。それだけでも折半したら数万円浮くだろう。キョウダイは家にお金を入れるという感覚は一切ないままである。キョウダイは家で我が物顔で過ごし、親は顔を合わせないように一室にほとんどこもって生活している。どちらが家の主なのかわからない有様である。

そして、キョウダイにはパートナーがいて、別居婚をしている。それって何だ?という感じである。夫婦のお互いの生活費はどうしているのだろうか。未だに謎の暮らしを続けている様子。親とも円満で別居婚を選んで今の暮らしがあるのなら問題はないのだが、ほぼ高齢者DV案件だ。実態がよくわからない状態での暮らしが続いている。

自分はキョウダイとは警察沙汰になった位関係が悪いのでまともに話が出来ない。そして、自分が相談を誰かにするためにこの状態を説明しながら問題解決をするということに対して、いつもやる気が失せてしまう。どこから手をつけるか?ということに頭を悩ませている。自分も同じことの繰り返しになっているのだろうな~。ヤバイ。

もし自分が金銭的補助をするということは、キョウダイ&パートナー、親、そして飼っている猫も含めてである。まぁ、無理だね。一番の問題はお金があったらあっただけ遣う人たちでもあることだ。自分自身のお金を渡すとしても少な過ぎる額である。そして渡したら最後、自分もお金が無くなり、生きて行けなくなり、誰かにお金を無心することになりかねない。それは良くない。自分の生活は自分で守らなくてはと思う。

ここまで書いて気が付いたのは、キョウダイも親も、自分なりの生き方を常に模索して生きて来たのだろうということ。人を脅してでも何でも頼ってお金を引き出させて、生きる。みんな生きるのに必死なのだな。ただ、その方法が自分とは違っていただけのこと。自分から見て明らかに真っ当に見えない暮らしだとしても、何か困ったら人に頼って生きることを選んだ人たちであり、そうやって今も生活を続けているのだ。仕方が無いだろうな。人の暮らし方はそれぞれだから。自分はそういう暮らしを選ばなかったというだけのことだ。

さぁて、どうするかな~。人質を取られている状態で、その相手に金銭交渉する?そんな感覚である。親が家を出たいと言っているなら、その方向で話を進めてもいいかもしれない。だが、親は一体どうしたいのかわからないのが困るなぁ。

では今日はこのへんで。