成人式が終わった。子どもの数が減ったとはいえ、まだ成人式が盛況な祭りのようで良かったと思う。この先は子どもの数が激減するから、こんなふうにお祝いムードが漂うことが数年後にあるのかどうなのかわからないけれど、今はまだめでたいなぁと思える風景があることに喜んでいる。着物姿を何度かケーキ屋の店先で見かけた。着物文化が廃れそうで、そうでも無いことも嬉しい。流行り廃りのように文化も変化して行くのだろうけれども、復活することもあるのだよな。日常のすぐそこにある文化。文化は日常の積み重ねた行動そのものなんだろうな。毎日の生活の中で使わなければ自然に消えて行く物がたくさんあるように、気がつかない間に触れることなく消えてしまう。みんなが目指しているいわゆる「スマートな生活」は、人そのものを丸裸にして、いつか自然の中に放り出されるのかもしれない。そんな頃には小さな壊れた機械が近くに転がっているだけで、気がついたら荒涼とした砂漠に生まれたままの姿で立ちすくんでいる・・・とか。怖いな。
さて、最近ケーキ屋の手伝いをする日が増えている。数えてみたら、月の半分位の日数であった。お金を頂いて働いているという自分がいる。時間数は少ないから、世の中の働いている人と比べたらものすごく少ない労働時間ではあるが、毎日のように起きて弁当を作り出勤する。店の準備をして人と話して過ごす日中があるというのは、なんと健康的な生活だろう。ただただ家にこもっているよりも社会に参加している時間があるというのは良いなと思う。この先、年を重ねても一日の中で自分が役に立つ場があるならば、それは嬉しい自分の居場所というもの。年を取ってまで働くなんて・・・とどこかで思っていたふしがあるが、今の自分は働くということに抵抗はないな。むしろ、働くという選択を敢えてしたいなと思う。まぁ、どちらにしても自分は働かないと食べては行けない身分だ。体を動かし、頭を動かし、心を動かして生きる生活をして行こうと思う。
とは言うものの、その適度で適切な仕事というものがなかなか無いのも事実。ケーキ屋の店主が生きている間は手伝いが出来たとしても、並行してもう1つくらい何か働く場を持たないとなぁ。やり過ぎも良くないが、生活が困窮してしまうのは良くないな。まぁ、ただケーキを食べて暮らしていた自分がケーキ屋の手伝いをやるようになったように、また何か好きなことをただやっていればいいのだろうな。やらなきゃ!という気持ちは余計な物事を背負い込むことになりがちだ。元々が自分にとって余計なことに手を出してしまったら、いつまで経ってもそれは余計なことになる気がする。余計なことを一生懸命やって上手くなるのはどうかな?・・・ヤダな。どうせなら好きなことで生きることが上手くなりたい。選ぶなら、自分が気持ち良く過ごせる毎日がいいゾ。
さて、世の中は不穏な空気と動きがあるけれど、自分自身くらいはいい一日を過ごそう。小さなひとつはたくさん集まれば大勢になる。悲しみはちょっぴりという状態に向けて動こう。では今日はこのへんで。