何事も少しずつやることだ。この年末年始、ほとんどケーキ屋にいたため、今までのようなお正月の迎え方は出来ないなと悟っていたから、大掃除やおせち料理の準備等を早い時期から始めていた。それだけではなく、「お正月は仕事だから~」などという自分にとっての大義名分もあって、気長にやって、出来ないことは出来ないままでいいという気持ちがあった。そのせいなのか、いつもよりも「少しだけ取りかかろう」ということで、その「ほんの少し」「今日はここまでだけやろう」というふうに、完璧にやってしまおうという時間の焦りも感じずに、それこそ適当に済んでしまった。まぁ、いつもよりも昨年は大掃除でいつも気になる部分を普段の生活の中で気が向いたときにやっていたこともあって、大掃除にならないで済んだところが大いにある。体力的にもいつも年末はゲームオーバー感があるのだけれど、やると決めたことはやれて、やらないで来年の課題だ~というふうにケリをつけられて、意外と穏やかなお正月を迎えることが出来た。
少しずつ普段からやるということと、何事もすでに完璧に出来ていない自分の暮らし方を見直すこと。元旦から仕事を入れるということにした今年は、確かに自分にどこか曖昧でぼやけた言い訳にするには十分ではあったのだが、何がしたくて何をしないことにするかという決心みたいなものを明確にするきっかけになったと思う。言い訳としては上等な「仕事しているから」という理由。けれど、そうじゃないんだな。どこかで納得していない自分がいてストレスを抱えるということは、仕事よりも優先しておきたいことが自分にはあるということを自覚する。お金を稼ぐよりも、誰かのために動くことよりも、自分が思い描いている暮らしをしたいというのが最優先なのだ。ずっとわからないでいたいろんなストレスの根源は結局これか。どう暮らしたいか、という自分についての大事なことを後回しにして来たな。
もちろん、自分がそのときそのときで優先事項は変わるのだけれど。根っこにある「こういうふうに生きていたい」ということを後回しには出来ないんだろう。たとえそれが他人から見てつまらないと思うようなことだったとしてもだ。ぐうたらしていて、何ひとつ生産的なことをしていない自分だとしても、自分が望んでいることを確保するために、生きている間は躍起になっているものだろう?どんな価値があるとか無いとか、それは他の人間が何となく価値を見出したものであって、結局のところ自分が価値を見出しているわけではないのだ。くだらなそうな時間を作るために躍起になる自分がいる。いいのだ。自分の人生だよ。
そもそも自分自身の予定を立てるということも苦手なのだ。先のことはわからないと思っていたから、他から要求される予定は自分の存在の需要だ!なんて感じてすぐに取り込むくせに、自分自身のための価値ある一日を組むことがまるで出来てないと思う。これはいかんよな。気分屋でもあるから仕方が無いけれど、今日や明日が存在するかわからないとしても、一旦今の自分はこうしたいのだなと知り、心を決めて目標に向かって動くことは自分の気持ちが穏やかになることも然り。
完璧じゃない穴だらけの自分を見るのが怖かったのかもしれない。達成出来ないかもしれない自分(=失敗した自分)を見るのは嫌だ、とか。それでも決めたことをやって行くのは悪い気分じゃない。今の気分の方をしっかり重視。結果は結果の時に存在する自分がいるのだから、今ここに立っている自分ではどうすることも出来ないよなと思う。この先の未来にいる自分はまた違うことを考えているんだから、どうにもこうにも自分自身さえどうにもならないのだ。
・・・あー、大掃除のことを書こうとして、何だか違うことを書き始めてしまった。言いたかったのは日々少しずつやっていくと、結果は大成しなくても、必ず自分をラクにして目標に近づいているのは確実だってこと。ま、どんな人も生きていたら途中で死ぬ訳だよ。全部途中で終わることの方が多いはず。何か達成したい目標が出来たら、自分にいつも気分良くちょうど良いくらいにテキトーにほんの少し動いて行くだけでいいのだ。達成出来るかなんかは考えない。
物事を始めるときにその結果を想像して勝手にやる気もなくして、手をつけずに終わったり、とても良くない結論をつけて始めること自体を止めがちな自分。けれども、今になって本当に先のことはわからないのだから、適当に何かしら手をつけて始めて行くことがいいんだなと思う。手をつけさえすれば目標に向かって物事は進むんだよ。
とまぁ、そんな感じで大掃除もお正月準備も、体力を消耗しないで乗り越えられた。大層なことを書いたわけじゃないのに、長々失礼した。今日はこのへんで。