選択が失敗かどうかなんて明日か一週間後には忘れているよ。だから、いいんだ。今面白いと思うものばかりに飛びついてけば。

タイソウなことをやって生きようというよりも、好きなことをやっていて、それが誰かの需要が有って役立つならば、こんなにいいことは無いなと思う。きっとそういう世界にするには、まずは自分から好きなことをしていないとなと思う。

自分がケーキ屋の手伝いを始めたのだって、ずっとただ好きで食べていたケーキが始まりだ。他人よりもたぶんお金も時間も余分にかかっていて、頭も体も使っているのである。何に対してだって、好きなことに没頭していると、周りにいる人よりもより詳しくなる。興味は広がり、いろんな味を比較体験して試し始める。いつしかケーキについて語り始めていた。まぁ、そんな感じで自分自身がどんどん変化して来たところに、ケーキ屋から誘いもあって、手伝いを始めたわけだ。常に店に顔を出して、ケーキに限らず、いろんな話をしていたことも大きい。自分が快いと感じる場所になった上に、人からも必要とされる。こんないいことはないだろう?

「下手な鉄砲も数打てば当たるのは、けしてまぐれが出るから当るのではなく、打つ度に必ず上手くなるからだ。」という教師の言葉に、当時は誰も信用していなかったが、今は実感として本当だなと思う。まぐれも意外と有るし、その上、段々上達して確実に打てるのだ。だから、どうせなら長く打ち続けた方がたくさん当たるのだ。自分では望んでとか理解してそうしているつもりではなかったが、結局今自分の手の中にあるものと言ったら、ただ単純に面白くて首を突っ込み続けて来たことばかりなのだ。若いときから何もしないでいたことはそのままで白紙のようなもんだろうけれど、気に入っていることは変わり続けて深くなっているのだ。

今、書いていて思う。何もしないでいたことは何だっただろう?やらなかったこととか。たぶんしなかったことなんて、毎日気がつくこともなく、きっとこれからも縁の無いことだ。頑張って思い出そうとしても、手放したことなどとうに忘れてしまっている。だから、どうでもいいことなのだ。目の前にある物事が、自分の世界の中心で、ただ生き続けて来ただけ。そうやって意外と人間は生きてしまうものなのだな。

若いときは何かを選択しようとして切り捨ててしまうものに対して、失くして大丈夫だろうか?ととても怯えていたような気がするが、今となっては選ばなかった物事の方は本当にどうでも良いことだったのだなと思う。より良い、あったかもしれない未来など、どうせ自分が思いつかないことばかり。全部見通すことなど誰も出来ないのだから。自分で選んで来た物事に目一杯楽しんでいたら、それで充分なんだよな。

今朝布団の中で、選択を迫られた。友人から人気アーティストのライブの急なお誘いがあったのだ。高齢者のための食事会開催とその後の合唱の練習で丸一日動き回る予定。そんな後に体調グズグズのまま、夜も出かけられるだろうか?時間も、少し無理すれば行けるかもしれない。が、体調グズグズは治っていないから、夜は休んでおかないと体調崩してケーキ屋の最盛期に迷惑をかけてしまう事態になったら困るなぁ。ということで、布団の中から断りの連絡を入れた。自分は、こっちの選択で良かった。自分で焼いたケーキに生クリームを乗せて食べながら、ゆったり夜を過ごした。ブログも書けたし。

では今日はこのへんで。