テキトーな話。

数値的には睡眠不足である。夜中1時過ぎに眠り、朝は7時半に起きている。たぶんたくさん仕事をしていた頃と同じかもしれない。6時間程度の睡眠。気分的には十分とも言えるのだが、数値だけ見るともっと寝ていたいと思ってしまう。

8時間位は寝た方が良いよな。カフェインが入らなくても眠いわけでもないのだが、少しだけ肌ツヤが悪くなる気がする。目つきも悪いかもしれない。食事はいつもと同じように食べられる。と言ってもどんな状態でも食欲が無いことなどほとんどなくて、常に1日3食はきっちり食べるのだから、参考にならないか。7割くらいは体の機能が普通に回っている。人間はこの位眠るのがちょうどいい・・・なんて、そんな基準みたいなものを気にしているだけかもな。

それでも体の無意識の反応というのは食事・睡眠・運動のどれを取ってみても、やったかやらなかったかで如実に次の瞬間にその結果が出ている気がする。食事の内容や量で次の日までのお腹の調子も変わるし、異常に欲する食事の内容が変わる。

タンパク質が足りないと糖分や炭水化物などの栄養素をやたら欲しくなるようだ。まぁ、その知識を仕入れてしまったばっかりに、自分がそう思い込んでいるから、その反応があるのかもしれないが。

睡眠ではどうかと言うと、時間が足りないと夕方6時位には眠くなって来てぼんやりする。早く寝ろって。そう思いながらいつも遅くまで起きてやっと寝てるから良くないなぁ。

運動についてはどうか?いつも同じ筋肉についての連続運動は避けているから、前日に動かした部位はかなり緩やかになっていて、少しの力で軽やかに動くなぁと思う。どれをとってみても、自分が「きっとこうであろう」と思っていることに体が準じているような気もするから、当てにならないかもなぁ。ただ違いがあるのかも、という位である。

まぁどうせなら良い方に考えて「結果を出せている」ということでいいか。良いことは思い込みで強く手に入れ、また悪いことは思い込みを心底疑って手放すとかでいいや。今日もテキトーである。

テキトーなことをもうひとつ。5歳の子が考える1日と80歳の人が考える1日の時の長さは変化する、というような話を最近思い出している。生きた日数○○分の1の1日が今日である。年を取った人ほどその1日が短くなるというもの。たくさん時を重ねた1日は一生の中で1日を過ごす感覚がどんどん小さくなって行くが、ならば生まれたばかりの赤ん坊の1日はとてつもない長さの1日である。一生分の1日。短い、長いと言うけれど、なんだか人の一生とは単純に大きな「ひとつ」なのかなぁと思う。

だからもし赤ん坊が生まれて1日だけ生きて亡くなってしまっても、誰よりもとても濃い1日を過ごしたことだろうと思う。長く生きれば生きるほど、1日というものの価値が軽くなってしまいそうだ。分母の数が大きければ大きくなるほど、昨日より今日の1日はさらに小さくなるのか。なんかもったいない。生きれば生きるほど1日というものがどんどん減るのか。自分の生きた日数で、感覚が時の流れを加速してしまうのだな。

まぁ、単純に年を取って行くだけで、出来ることが減り、出来る速さも遅くなる。1日の中で出来ることが減るのだろう。経験を積んで容易く出来ることも増えているようで、実は減っているから、その時の速さに追いつくためにはもっと経験を積んで速く出来るようにと気持ちが急いでしまうのは仕方が無いのかもしれない。

でも結局それは増えたり減ったり速かったり遅かったりしているわけではなくて、一生という「ひとつ」の中で伸び縮みして変化しているように見えるだけで、自分に関わる物事の当然である速さまでしか動かないのではないだろうか。だとしたら、逆に自ら急がなければ時が待ってくれるし、ゆっくり生きれば生きるだけ時がそれに合わせた長さで流れるだけのことなんじゃないだろうか。

速いは遅いことで、長いは短いことでもある。自分の一生の中で増えたり減ったりなんてしない。なーんて。焦っても同じで変わらないのだ、なんて思っている。だから今日もテキトーにしていて、適当。

今日はこのへんで。