楽しみでさえ、充電無くなったら終わってしまうとかって、つまんないよ。

自分の体を動かすこと。自分の手を動かすこと。頭もついているのだから、自分で動かすことだ。あれ?動かない。真っ白~だとしても、動かそうと思う。いくつまで自分が生きるかわからないけれど、動こうとしなければ動かないものだろう。そう思って今日も動け、動け。毎日、そんなことを大事にしている。

年を重ねて、いつか全く動けなくなるまで動こうと思って、今からでも動かせるところを動かす。きっと今動こうとして動いていれば、その続きで延々と動き続けて行くような気がする。体を動かさない日があると、簡単に動いていたものが急に動きにくくなるという、その違いが分かる大人になったせいでもある。

若いときはゴロゴロ家に居続けても感じなかったが、50代になって、とても怠けて動かなかった日が続いた後に、外に出ようと思っても精神的にも動くのが面倒になって、動きづらかったことを思い出すと、やはり継続して外に出て誰かと話すという方がいいなと思う。体も頭も動く。会話は簡単でもいいから、言葉のキャッチボールがあると脳が反応していて、頭の回転も良くなる気がする。人と会話した後なんかは、ピアノを練習する際にも動きが全然違う。体感的なものだけれど、脳も、どこか一部分を動かしているだけでも、他のところも良くなるのかもしれない。

若いときはたとえ動かなかったとしても、ちょっともったいないだけという感覚だけれど、大人になると「あれ?いろいろと動かない。」という感じになるのだから、継続して動いていた方がとても楽なんだよな。年を重ねると復活力、みたいなものが落ちているのだろう。自分が思っている気楽な感覚まで戻るのが大変なのだ。リハビリをまず「しよう」と思うところから始まって、かなり気合が必要になる。どうやったとしても、いい年齢の大人になるとエネルギーの使い方も省エネになってしまうので、大放出!という必要性があったときにも、なかなかうまく行かないものである。

とまぁ、そんなことをヒシヒシ感じているので、今は習慣として最低限の運動をして体を動かして、食べたことの無い珍しい物を探しては食べ、道端で誰かと会えたら笑顔でひと言ふた言でもいいから言葉を交わす。なるべく知らないことを知ろうとして今まで触れたことの無い分野の文章を読んだり、うるさいとか嫌いだった音楽のジャンルもたまに聞いて浴びて踊ってみる。知らない道を探して歩いてみたり、知らない店に入ってみることもいいよな。試したことの無い服装をしてみるというのも取り入れよう・・・。今は一人でやったことのないことを一人の時に試してみようとも思っている。

この先、そう遠くない未来には人口が減って、働き手がいない時代が来る。そのときに自分が人の手ばかり当てにして生きている高齢者となっていたら、きっと「自分でやって出来るようになっておけば良かったなぁ」と思うだろうと思う。いつかは動けなくなるとしても、そのいつか動けなくなる日を先延ばしにするためにも、自分で出来ることを増やそうと思う。今後エネルギーの問題だって、お金さえあればいい、手に入るという問題ではなくなるだろう。自分の手で出来ることもあるということを学んで知っておくだけでも、今始めるのとものすごく高齢になってから始めるのでは異なるだろうから、やり始めた方がいいなと思っている。

小さな庭ではあるが、自分の食べる物の一部は作っておきたい。微々たるものかもしれないし、今そんなに慌てて焦ってやる必要がある?と言われるかもしれないが、衣食住の知識を増やしておくだけで、危機をほんの少し乗り越える足しになるかなと思う。今のところ、住については大して出来ないが、衣はなんとかなるし、食ももっと出来そうだ。手を動かし、体や頭も動かしてみよう。人任せで暮らして来てしまい過ぎた。お金を払って人任せな生活よりも、もっと自分で作ってやってみよう。今は他人が動いてくれなきゃ何も進まない世の中になってしまった。お金を払うことで便利な世の中は突如止まってしまう恐れあり、だよ。本当は自分で出来るのに、人任せにし過ぎた生活はやっぱりあんまり良くないな。

では今日はこのへんで。