あれもそれも過去のことなのに、なぜか楽しく笑う声がカラカラと響く。

目覚ましと共にメールの着信が鳴る。夜中寝付いたときのぼんやりした頭と大して変わらない朝。花粉のせいか、最近朝一で目がしょぼしょぼ乾いている感じがする。そろそろ目薬もささないとダメだなぁ。メールを見ると毎週集まって運動している友人からだった。体調が少し悪いから今日は休むよという連絡。朝早くにいつもありがとう。実はまだ布団の中だ、ということは伏せといて、返信をする。まぁ、世の中は明るく暖かく、多くの人がすでに外へ動き出している時間帯。自分は今日のゴミ捨てを延期しようと決めて、のろのろ起き出して朝が始まった。

昨夜、寝る前にふと考えてしまった。いや、思い出が先である。なぜか実家の家族を一人一人思い出していた。キョウダイは意外と笑い上戸だったよな。小さな頃から家の期待を背負っているような感じで、成績が「一番であれ」ということを結構強制されていて、どこへ行っても大変だったろうと思う。自分は体が丈夫じゃないし、最初から期待をされていないこともあって、結構自由に過ごしていたのだが。夜眠る時間だってキョウダイは削られていた。成績が悪かったりすると帰宅した親から起こされて説教が始まるから、先に寝ていたキョウダイは小学生高学年のときには寝不足だったな。自分も同じ部屋で寝ていたけれど、元々寝つきが悪い自分は眠っていないから説教を聞くのは全然平気だったけれど、キョウダイは眠っているところを起こされていたのだ。

中学受験をするわけでもないのに勉強をするためだけに県内でも有名な塾に行き、帰宅しても課題を終わらせるために机に向かう日々。塾内の優待生になったら塾をやめてもいいか?と本人が懇願して、やっとやめた。要は塾の中で上位数名に入ったのだ。そんな感じなのに、家の中でキョウダイは小さいときから「出来ない子」と思われていた。そんなわけないのになぁ。自分にはああいう生活は出来ないと今でも思う。あの生活が出来るという人を見ると、それだけで素晴らしい努力家だと思うのだ。それとも、努力家はダメなのだろうか?きっと、ダメだったんだろうな。自分の家では。

それでも人は大人になって行く。10代を乗り越えて、20代になり、30代となる頃に、問題が発生する。親の一人がガンになり、余命を残すところあと1ヶ月だと言われたのだ。そのときにそれまで好き勝手にやっているように見えたキョウダイが崩れ始める。親の期待から解放されていなかったのだろうか。親が期待する姿というのを途端に思い出したみたいであった。それまで趣味が高じて、その道に進みかけていたのだが、急に辞めると言い出して、就活を始めたのだ。「自分が背負わなくてはならない」と言い出し、今までやっていたことを突然やめてしまったのである。

自分で決めた道ならば、いいのだが。ここでキョウダイが親たちに相談も無く「勝手に」判断して家を背負おうとしたことが後々問題になる。まず「しなければならないから」と言い出した。自分はというと、親の生活はまず親だけで問題を解決するものだと思っていた。自分は結婚して別世帯で過ごしていたし、親は高齢になっても仕事をしていて、貯金はそれほどなくても、やっていた仕事から後から入って来るお金もあったはずだ。急いで対応する必要はなかったように思う。親自身が考えて答えが出たときに、困ることがあったら、初めて子どもに相談やお願いをするものだと自分は考えていた。

子どもには子どもの生活や人生があるように、親にも親の人生がある。けれど、もしかしたらそういう背負って欲しいという雰囲気や言葉が親から出ていたのかもしれないが、転職ばかりしているキョウダイの自立を一番に欲していたはずだった。自分たちのことだけ考えればいいと思えた方が親自身は楽であっただろうと思う。それなのに、親の病気が発覚したタイミングで、キョウダイのやりたかったことは自身でその道を手放したことでダメになってしまった。まるで親が病気になったせいで進む道を止めさせられたというような口ぶりを何度も聞くこととなる。親からすればキョウダイが選んだ道をやめて急に無職になり、自分の病気がなければキョウダイの人生が謳歌出来たのでは?と余計に負担を背負った形になったのではないかと自分は思う。

また、そんな中、仕事を家でしていたこともあって、時間に融通が利く自分を頼りにしていたのか、とにかく看護に呼ばれることが多くなった。親をどうにか延命したいキョウダイと親の願いを優先する自分とは意見がぶつかることにもなった。あのときの親の命は誰のモノだったのだろう?自分にとっては親自身のモノだと思っている。だんだんと弱って行く親がやりたいと言ったことを実行するときに、ことごとく阻止されそうになった。刃物で脅され、暴れたので警察を呼ぶ騒ぎにもなり、大変であった。親の死後も未だにキョウダイとは確執が残り、今に至っているのだ。

けれど、昨夜急に思い出した姿はその姿ではない。ずっと自分で話をして、笑っている姿だ。そんなこともあったのだ、と思い出した。人がたまたま同じ家に生まれ、境遇が違って、思うことも違い、選択することも違ってそれぞれの人生を過ごしている。その後もキョウダイの問題の多い人生を知っているから、今後も人生でなるべく接点を持ちたくないと思っているのは変わらない。ただ、懐かしいと思い出せる、いい時期もあったのだ。

わずかな点ですれ違わずに知り合った人のことを考えて眠ったせいで、たくさんの点と点を持っていたにもかかわらず自分の人生から去る人というのも、悲しくても存在するというのを思い出した。こうでなかったのならなぁ、という人生はやって来ない。サヨナラも自分で選んで生きて行くのだ。お互いに。離れて、かなり長い時間が経ったのだな。だから、思い出して書けたのだろう。

では今日はこのへんで。