日記とは、頭にこびりついた言葉を必死にこそげ落としている作業みたいだ。

いきなりの失敗。この間冷凍庫を開けた時に見つけたクッキー生地を焼いてしまおうと思い、焼き始めた。ふと歯を磨いていなかったことに気が付き、歯を磨く。焼き上がって失敗した。すぐ食べる気になれない。歯を磨いて気持ち良いなあと思っていたのに、すぐさま焼き立てのクッキーが歯にくっつくのが頭に浮かんでしまった。チーンという音と共にまさにチーンだった。失敗。まあ時間が経てば食べることになるさ。

退職して暇になったはずなのに、頭の中が忙しいのと物理的に予定が入っていて忙しいのは変わりがない。よく仕事しながらこんなことを続けていたなぁと思う。しかもストレスを抱えつつやっていたなんて。よくやった、お疲れさま。退職した日にもケーキを買いに行き、そう言えば店主から「それはお疲れさまでした。」と言われたなー。あの時はその言葉をもらえることが、なぜか意外に思えた。

退職時、自分の周りを見回すと、生活は大丈夫か?と心配そうに時間が経ってから声をかけてくれた人、そうなんだと言ってそれだけの人と、まだ若いからね~と言う人、これからもっとピッタリな仕事がある気がする!絶対!と目をキラキラさせた人等々。いろいろな反応が面白かった。

自分としてはつまらないなと思ってしまったのは、とにかく退職した理由を聞きたがる人。これは同じ職場の同僚。なぜこの仕事を辞めるのか、聞いてどうするのだろう。私の理由に納得したいのか、じゃあ納得してどうなるんだろう。単に聞いてみたいのだろうなぁと思う。ちょっと意地悪な気持ちでもいるので、今のところ理由は言っていない。理由を聞いてないことで相手の気持ちが落ち着かないなら、それもいいな。ま、きっと今頃忘れているだろうけれど。その程度の関係だろう。

話は戻る。反応がつまらなくなかった人のこと。いつもありがたいことに、そういう人たちに自分は助けられている。自分の困り感がないから意識出来てないことが多いが、自分はどうやら危なっかしい人らしくて、だからこそ助けられていて、なんだかんだありながらも、真っすぐ道を進めて来られているのかもと思う。家族からはヤバイ人と言われるし、それをまともに受けてしまうからこその、ヤバイ人なのだろう。

ああ、そう言えば、以前ボランティアで行った先で、統合失調症の人と話をしているときに、その人の話をうんうん、それでそれでと聞いていた。暫くすると、その人から「話半分で聞いて下さいね。私は頭から電波が出ちゃっている人なんでね。本気にしないでね。」と真面目な顔して心配そうに言われたのだ。傾聴ボランティアしながら、心配された身。こちらはただ面白くって話を聞いていたのだけれど、結構そういうことはあるような。

人を信用してしまうというか、相手の出している言葉を鵜呑みにして生きようとしているからかもしれない。「この人は正直だな~って思った。」と言われる。これは自分が受け取りたい言葉とか印象的だった言葉を記憶に留めているから、正直者エピソードが文章を書いていて出てくるのだろうか。自分のフィルターを通して残って選んだものが、こういった言葉になる。だから自分自身が望んでいる姿はきっと「正直者」じゃないかと思う。なんとなく、自分の中では最上級の誉め言葉なのではないだろうか。

ただし、この「正直者」も諸刃の剣。良い面と悪い面があって、いとも容易く人を傷つける要素でもあることを自分ではわかっているし、知っている。しかしあまりどうにもならない。出来るだけ、良い要素が使われるといいなー。

日々、周りの人が自分を助けてくれている。こんな危うい正直者を周りが良いように受け止めて、活かしてくれている。明るさをもらい、変なことは笑い飛ばしてくれるし、しかも大事に扱ってくれる。そうでなければ私がここまで生きていないだろうとも思う。あー、今日も生きている。やったぁ。ありがとう。

では今日はこのへんで。今日もこれから電話番の続き。