ほんのちょっと変わると、やっぱりちゃんとちょっと変わるよ。

台風が去った後の空はすっかり秋だな。まだ日差しも暑いし、その温度によって未だに半袖を着させられている。でも、金木犀は香りを漂わせて散り始めた。もう秋なんだな。

スーパーに行くと確かにサンマも出回っていて秋を感じさせるけれど、お値段が昔とは全然違っていて、これはもう旬とは言えないかもなぁと思う。旬でたくさん取れる時期だから秋なのだ、ということではなくなって来た。すでにどこか無理をしていて、秋の季節だからコレを!とかき集めて目の前に出されているのだろう。手を加えるのが当たり前で、自然の物なんてほとんどないのかもしれない。

庭になる柿が美味しいと思われているのは、手を加えずにそのままの状態で収穫したものだからだと感じる。人工的に手を加えられて、限りなく甘く大きく見かけも美しく育てられた柿を好まない人たちの話を聞いていると、売っている柿は甘すぎるのだそうだ。糖度をわざわざ高くしているのになぁ。柿は貰うものだという認識だ、と語っていたご婦人もいたが、そういう柿がまだ家の庭にあるというのは自分にとっては宝だな。

ちょうど散歩がてら駅の方へ買い物に行ったときに、どこからか呼ぶ声がしたので振り返ると、声の主は会うのが久々のボランティア仲間のご婦人であった。数日前引っ越しをしたらしい。以前話したときに駅の近くの一人用マンションを探していたのを思い出した。やっと気に入っていたところに空きが出来て入れたそうな。旦那さんは一戸建ての自宅に一人で住んでいる。大人のお年頃で、あえて一人で自由に暮らして行くというのは、新しい暮らし方だと思う。これから結婚制度の形も変わって行くのだろう。子育てが終わったら、夫婦は別に暮らす。そんなのもいいかもしれないな。元気で、生き生きとした感じがいい。

考えてみたら、一人暮らしはただでさえワクワク感がある。若い頃とも違うし、家族で暮らしたり、二人暮らしの時とも違う。今その年齢で必要な物も変わっているはずだ。今日話をしたご婦人も、最小限の物を買ったと言っていた。元々あった物は捨てて来たそうだ。すっかり新しいスタートを切っている。食器なんかも、ひとつ買う度に何が今の自分に必要か?と考えることが楽しいだろう。良いなぁと思う。

自分も高齢になって行くのだが、年を取ったとは言っても、わざわざ落ち着いた年寄りの顔をしていなくたっていいのだ。まだ体も頭も動くときに、閉じこもっている必要はない。ご婦人は以前住んでいた家から駅に行くには億劫だったけれど、住み始めた家は駅近で買い物も便利で、今までよりもどこかへ行きたいときにすぐ動けて身軽になったようだ。歩く距離が少なくなったから運動不足が懸念されたが、以前より動きやすくなったことを考えたら、動くことが増えるはずだ。「早速買いたい!と思って、化粧して街までサッと行って来られたからラクよ。」と言っていた通り、きっとフットワークが以前よりも軽くなっているな。

元々コミュニケーションを取るのが苦じゃない人だからというのもあるだろう。すぐ近くには今まで住んでいたところの顔見知りもいるわけで、突然全然違うところに住むというのでもない。勝手知ったる場所で、ほんの少し動き回るのがラクな場所に引っ越して一人で住む。そういう選択もありなのだな。

もちろん、金銭的なことはクリアしなければならないが、自分の身に合わせたところを考えればいいのだ。無理だなと思ったらやめることも出来る。状況がまた変化するときには、変化に合わせて考えれば済む。自分も、いつの間に「ちょっと試しに住んでみよう」という暮らし方を止めてしまったのだろうか。自分も1年や2年、他のところで暮らしたって別に何も悪くないよなぁ。

今日会ったご婦人の場合も持ち家がある。自分もこの家には固定資産税を払うだけで、家賃が無い。そういう意味では身軽である。まぁ、タダ同然で住めるのにもったいないとは思っているから住み続けているというのも否めないのだが。それに、周りに住んでいる人たちとは衝突することもなく気楽に暮らせる感覚があるのも大きい。環境ってとても大事だ。だから少し、自分は臆病になってしまっているかな?人によって気がつかされている今日この頃だ。

ああ、そういえば、柿を真っ先にあげたおじさまから「いつも貰ってばかりだからさ~」とシャインマスカットを頂いてしまった。うわっ。自分では買わない高価な物が冷蔵庫に入っている。今夜食べよう。おじさまもかなり高齢なのだ。これが最後の頂き物かもしれない・・・なんてことが頭の中を過ってしまった。自分も変わり、周りもどんどん変わって行くのだ。常に変わり続けるのがフツーのことなのだ。居心地がいいこの家に住んで過ぎ去って行くものを見ているのも好きだけれど、たまには自分が動いてもきっといいネ。

では今日はこのへんで。