楽しく年始から働いております

かなり長い時間PCを開けてもいなかったせいで、まるで別世界のようだ。ケーキ屋のクリスマス繁忙期を少ないスタッフ人数だったがトラブルなく乗り越え、年末年始の「休みだしケーキ買うか」という人たちへの対応をし終わり、店自体が連休に入り、何となく休みモードに入って今に至る。

ブログを書く時間というのは、やはり静かな時間をある程度確保しようと考えなければ維持出来ないものなのだな。すっかり1ヶ月ほど書くことを忘れていたなぁ。家の外に出て動く、働くということは、強制的に自分以外の誰かと一緒に過ごすことになる。独りで何か考え事を楽しむという時間は極端に減ってしまった。

クリスマスの繁忙期には予約のケーキを詰めては渡すだけではなく、前回のクリスマスよりも「売ること」に専念していた。イブの日にはショーケースに入っていたカットケーキや予約以外のデコレーションが1個も無くなるタイミングが何度もあった。それはケーキの製造人員が少なかったせいもあるけれど、買いたい人には希望を聞き、その希望に近い物をとにかく売り込んで、売るという行為を自分は繰り返していたためでもある。意外としっかり売れたよな。

クリスマスから年賀用にギフトも出るので予め作っておいた物も出し、それでも足りないこともあるのでギフト箱を何箱も折って用意した。売れる物はとにかく売って行くことで、今回年内の在庫を出来るだけ減らすことを目標にして動いていた。一部どうしても売れない焼き菓子があったが、それ以外はかなり一層出来たんじゃないかと思う。今はその売れ残りの焼き菓子を使ったお菓子を提案して、店主と一緒に売り切る作戦を練っている。スタッフはとうとう自分に一人になってしまったが、少しでも力になれていたらいい。今後もまだまだ力になるゾ~。

以前、このボランティア精神というものに対してお金を頂くというのはどうなのだろうかと思っていたが、最近それについて自分なりに理解したことがある。ボランティアは「自主的にやること」で「人(社会)の役に立つ」というもの。お金をもらって働くということも、実は同じことなんだなと思うようになった。

自分は、どこか「働く」ということに抵抗があったのだが、なぜ抵抗があったかと言えば、それまで自分からそれをやりたいという気持ちが自分の中に無かったのだろうと今は思う。店主のケーキ屋を手伝うことになって、自分がやりたいと思う気持ちに寄り添って、進んで手伝いをしてみようと思ったその自分の行動が、役に立ったと感じた側からその気持ちをお金という目に見える形で返してもらっているのだなと思うようになったのだ。たぶんこのことは、とても幸運だと思う。自分が自主的に出来る事柄(行為・労力)が社会の一角の需要にマッチしたのだ。

誰かの役に立てればいいと思う気持ちは変わらない。その自分の気持ちが「行動」という形となって相手に届くと、相手の気持ちが「お金」という形になって自分に届くのだ。目に見えないものを言葉にし行動し、お金という形にして、渡して渡されるバーター。だから今は気持ち良くお金を頂いている。

確かにそこで自分の生活と賃金のミスマッチみたいなものは発生することもあるだろう。「もっともらいたい」「これだけじゃ生活出来ない」というようなことだ。賃金と不釣り合いだと感じることはあるだろう。自分が賃金に見合っていない少ない労力なのか、超過した労力か、どちらだろうね?

自分が今もらっている賃金は最低賃金ベースであり、何の保証もない。有給休暇も無いし、雇用保険社会保険というものもない。ただのアルバイトであるし、小さな自営業の店の1スタッフに過ぎない。厚生年金を会社が半分出してくれるようなところではないから、今の社会保険料の支払い方では、その先の年金暮らしにプラスになることはないだろう。

けれど、もし「もっともらいたい」「これだけじゃ生活できない」ということが自分の中で生じるのなら、結局のところ、自分に出来ることを増やすしかないのだと思っている。もっと世の中の役に立つ人間になるか、そのお金で足りる生活を選ぶことで変えるしかない。さらに言うなら、例え小さな自営業の店の1スタッフだとしてもちゃんと生活が出来るという社会にしていくことが出来たならいいなと思うのだが。まぁ、こんなことをここで書いていても、社会も自分も変わろうとしなければ変わらない。せめて今すぐ出来るのは自分が変わることだ。手にしたお金で足りる生活をすることは出来るはずである。

未だに過剰に豊かな生活をしているという認識の自分がいる。まだ削れるところはあるのだ。毎日ダラダラただ生きているだけなのに、使わない電化製品を多く置き、着ない服を引き出しに詰め込み、食べ残した食品が冷蔵庫に複数残っていたりする。人から見れば余剰品などなさそうな自分の部屋にも、まだ削っていいものがあるということにふと気がつく。削れば、おそらくもっと少ないお金で生活出来るだろうなと思う。もっともらって今の生活水準も含めて現状維持したいのか、どうなのか。その都度自分自身を確認して生きたいと思う。

書いている途中で家のドアをノックする人がいる。何かと思って行くと、屋根を直してくれた業者さんだった。「あけましておめでとうございます!」という元気な挨拶と共にわざわざお米を持って来て下さった。小さな米袋だけれど、とても助かるなぁ・・・。自分は貰い物が多い。さて何を返そうか考える。きっとそれが大事なのだよな。貰いっ放しではなく、受け取った物をまた誰かに渡すつもりで広げて行くのだ。いいなと思ったことは繋げて、良くないなと思うことは堰き止めて。

随分人に助けられてここまで自分は生きて来たんじゃないかと思う。どうぞ皆様も今年1年健康で気持ちの良い日々を過ごせますように。では今日はこのへんで。