そう、何だかそんなことを言いたくなった。別れた当時は相手を拒絶し、そこにいたはずの自分自身でさえ拒絶して過ごしていた気がする。けれど、長い長い時間を経て、楽しかったことや嬉しかった思いが確実にそこに存在したことを思い出している。もう、そこにいた自分もいないし、そこにいた相手もいない。たとえ生きていたとしても、自分の恋人として存在していたときのキラキラした相手は、どこを探しても存在しないのだ。今はそのことにほっとしていたりもする。
どうだ、その時には素敵な相手がいて、寄り添うこれまた素敵な自分がいて、素晴らしいだろう?と思う。他には存在しえなかったし、今生きているこの時のどこにもないのだ。そのときに存在した物事を比較する相手などどこにもいるわけはないし、嫉妬もしなくて済む。ただ素敵な思い出が自分の中にあるということに気がついた。別れた相手は、自分を愛してくれていた素晴らしい人ではなく、もう既に単なる別の人なのだということを知ることが出来たら、なんのことはない。
まぁ、新しく素敵な人と出会ってたら、思い出の人とのことなど比較しないだろう。きっとまたその人と今の自分自身が最上級だ。こんな素晴らしいことはない!と思ってウキウキ楽しく生きているはずだ。けれど、誰かに出会っていないと、何だか落ち込む?自分なんて・・・と思うだろうか。自分はいつまで経ってもそんな感じであったが、それは仕方が無いのだよな。ぽっかり空いた穴を受け止める日々である。そんなつらい日々だとしても、もうアレ以上の素敵な時間は無いなと、時間をかけて本当に思えたときには、それはそれで落ち着くものだ。もう素敵な出会いを焦って無駄に探し回らなくていいのだから。この世界での出会いに諦めもつくというもの。まだそこに諦めがついていないなら、誰にも遠慮なく積極的に探せばいい。行け行けGOGO!だ。
ただ、「別れることになった相手」=「自分を大事にしてくれないような人」を自分のそばに囲ってしまわないようにしよう。もうすでに自分が望む相手ではなくなっているのだから。自分のために、さっさと手放してしまおう。物理的に手を放してしまえばいいのだ。精神的には離れづらい?かもしれないが。人恋しいときは、自分に向かって手を伸ばしてくれる温かい他の人の手を掴むことだ。恋人じゃなくたって、自分の周りにはいろんな大切な人がいる。恋人に夢中で、見えなかっただけ~。自分を大事にしてくれる人は、自分が大事にしたい人であったことを自分自身が忘れてしまっていることが多い。人生の中で辛い日はその人たちと過ごせばいい。恋人がいたら出来なかったことを大いにやり切るつもりくらいに。どうだろうか?結構忙しくなるゾ。
何でこんなことを書いているのかと言えば、別れたパートナーと事務的な処理で久々にメールのやりとりをしたからだ。ああ、この人はもう全く自分は知らない人だなと思った。かつて長く家族として一緒に暮らしたからと言っても、自分にとってはすでに知らない人なのだ。自分や子どもに愛情を注いでくれていた人ではない。自分の中にある素敵だった人が、自分の中だけに存在していて、目の前の人とは違うはずなのに重なり、そのことが嫌だった時期もあるのだが、今は嫌じゃなくなった。今生きている人とは同じようで全く別の人なのである。
自分は思い出の中のその人を未だに愛しているのであって、目の前に生きているこの人ではないということが明確になった時点で、あのとき生きていた「人を愛する自分」も素敵だったと認められるし、楽しい気持ちで懐かしむことも出来るよ。今もあの頃の自分や相手のことを、愛していたっていいのだから。
そうか。辛い時期は、きっと自分が自分を許せなかったのかなぁ。こんな人を好きであった自分を許せない、なんてさ。あ~あ、人って自分を理解するまで難しいね。理解したところで、また笑っちゃうくらいにさらに扱いが難しいネ。いくつになっても、思い通りにはなかなか行かないものだなぁ。
へへへ。朝から何を書いているんだか。たまにはいいだろう。さて、今日も楽しい一日にしよう。では今日はこのへんで。