こんなに気温が下がっているというのに、昼間の日差しはとても暖かく、2階でPCに向かいながら太陽の光を背中に浴びているだけで暖房が要らない。こうやって過ごすのがいい。今世の中は寒い寒いと暖房をつけて部屋を閉め切っていてもったいない気がする。それよりも、猫のように家の中の一番暖かい場所を見つけて寝そべっていればいいのになぁ。
とは言うものの、自分も師走という時期をバタバタと過ごしている。まぁ、以前ほどではないかな。ほんの少しだけ「休みたい」と自分自身に言える位にはなっている。今日やることを書いたメモの中に、「少し休みたい」「なるべく休む」「頑張らない」という文字を書くことが出来ている。今日やることリストにそんなものを書いて来ただろうか?これは発見である。強制ごゆっくり、みたいなことを自分の生活の中にしっかりと組み込んでいる。
忙しければ忙しいほど、どこか自分の余裕時間を削りに削り、体を休めることもしないだけでなく頭を休ませようとすることなく、動き回る。まるで起きている時間はすべて遣うのだ、とでも言っているかのよう。それは人間なら無理な話だってば~と気がつくのに何年もかかった。いや、わかっていても、ほんの少し気をつけていないと、すぐに忘れる。自分は人間なんだってことをきっと忘れてしまっている。
「テレビをつけて観ているのに、この書類にほんのちょっと目を通す時間も無いの?」「ケーキを食べてお茶を飲んでいる休憩だってあるくせになんで?」「メール1通打てないの?そんなに時間がない?」などと、自分にツッコミを入れるのは得意なのに、休む時間を入れることは最優先に考えられず、どこかにほんのちょっとずつ入っている隙間時間でさえ予定を埋め込む始末。自分のやりがちな今までの暮らし方であった。でも今は、自分が何もしない時間を望み、それをメモするに至った。これはかなりの進歩である。
相変わらずメモ魔で、やることリストは朝書いているのだが、今日やっておきたいと心から思うことのみを優先してやるようになっては来た。頭の中でごちゃついていたことをこの数年でかなり放ってしまえるのだ。明らかに「これはやりたいネ」と意識に上ることだけをやる。やった方がいいことなどは今でも山ほどあるけれど、どうしてもやっておきたい気持ちがある物を優先して生活するようになって来た。たまに失敗もするけれど・・・それも有りなのだ。
感情に任せて生きていると大成もしないだろうが、「ああ、あのときはやりたかったんだねぇ~」と、くすすと笑える人生の一場面を記憶することが出来るのだ。個々人の人生って他人からの見かけはそれほど大層なものじゃない。見かけや経歴だけは素晴らしいこともあるかな?でも、ある一時点の希望リストを完璧に遂行したって、自分はきっと面白くないだろう。自分の喜びはいつだってその瞬間瞬間にあるということを知ったからこそなのかな。人によってはそれは必要ではないこともたぶんたくさんあるだろう。自分の人生は自分のものだと思える。自分を喜ばすにはどうしたらいいかを逐一考えながら生きるしかないな。
他人には他人の幸せがあるのだから、他人の幸せの在り方を「それはおかしいんじゃないか」というのはちょっと違うのだろう。実際に確かに大勢の人がそれは困った人だな、と思うことも多々あるけれど、結局のところ人はそれぞれ、そういうふうにしか生きられないものなのだろうなと思う。だからこそ、他人の幸せの在り方があって、その始末や対応をしていかなくてはダメなのだよなぁ。
別々の幸せの形がぶつかりあって、お互いに良い思いと嫌な思いをするのは仕方のないことなのだろう。みんな全員が上手く行く幸せの在り方は無いのだろうかと探していたところが若いときから自分にはあったが、それこそが自分の押し付けた幸せの在り方になってしまっていたのではないかなと今は思う。今は自分を含めたそれぞれの幸せの在り方を守るためにも、お互いに違うのだということを意識している。違うからこそ、自分は自分の幸せの在り方を守り、同時に相手の幸せの在り方を認めて傷つけないように努力する。どうしたって、自分自身をとことん知って行くしか無いなぁ。これからも。
さて、今月はクリスマスケーキの予約で一杯である。ケーキ屋は書き入れ時だ。店番をしている日が増える。幸せだな。では今日はこのへんで。