寒いから動いている

家族の仕事が休みの時は自分もケーキ屋の手伝いの休みが重なると「おお、休みだ。」と感じるなぁ。眉毛をプロに頼んで揃えてもらうため、家族が街に出かけて行った。自分も合流しようかと思っていたのだが、洗濯物をたくさん外に出してしまったこともあって、今日は家にいることにした。天気の機嫌がコロコロ変わる季節。晴れていると思っていたら雨が降って虹まで出ていたりする。秋とはこんな季節だったな。生活を柔軟に合わせて行くような季節感のある季節は久しぶりなのかもしれない。最近までやたら暑かったり、ただ急に寒くなったりしていたように思う。春とか秋とか、四季が感じられるようになったのは、それこそものすごく暑い夏と、ものすごく寒い冬の温度差があるからだろう。全体的に過ごしやすい時期は無くなって、春は暑くなり、秋は寒い。それでもまだ微妙に温度差があって、四季が残っているような気がする。でも、これからものすごい寒さがやって来るのかと思うと、すきま風だらけの家に住む身としてはちょっと怖いよな。

ストーブをつけるにはまだ早い。温度が確実に下がる朝や夜には、必ず足元にはレッグウォーマーのようなものと足首だけを覆う短めのウォーマーをつけている。残り毛糸ですぐに編める程度の物で、大した技術も無しに適当に作ったが、これがいい。人は手首や足首という「首」というところが弱そうだ。体感的にも巻いてあると全然違う。厚手の靴下を履くと床や階段で滑ることもあって危ないなと思っていたのだが、これだと大丈夫。今より寒くなると、セーターを着た後に大きめのジャージ上下を着る。冷えて冷えて仕方ないときには、防災品として箱買いしておいた使い捨てカイロを消費期限が切れた段階で使用する。仙骨の辺りや肩甲骨の間に貼っている。自分が寒さを感じる部分に貼るとどうやら温かさが循環して行くようだ。喘息等で咳が出て来てしまうときも肩甲骨の間に貼ると少しラクになっている。カイロは改めて買うともったいない気もするが、処分用なので使い切るために利用するのだ。まぁ、それでも自分にとっては贅沢品である。起きている間はどこへ行っても使用出来るのでとてもありがたい代物である。

まぁ、動ける体があるのなら、寒いときは動くに限る。指という指を動かし、足を動かし、腰を動かし、腕を回す。水分を取ってほんの少し動けば体は熱を発してくれる。他に頼って電気なんか使わなくても、自分の体の中から熱が生まれるのだから、とても効率がいいよなぁ。夏は汗が出て大変だったが、冬はなるべくじっとしていないで動けばいいのだろう。ごく普通に3食食べているし飲んでいる。ならばそれを使ってしっかり体を動かして行くことが、食べたり飲んだりした意味があるよな。自分は菓子も作って食べているのだから、その分動いて活動しよう。次の菓子を作るためだけに動く、ってことも多々あるけれど、そうやって動いて次の自分の生活を円滑にするために動いて行ける。未来の自分への奉仕活動みたいなもんだ。

自分のための活動だとしても、案外自分のために動けなかったり、動かない人がいる。自分もそうだと思っていた。ダラダラしたい、ぐうたらしたい。ゴロゴロしていたい。あくせく働くことなんて嫌だ~と思っていた方である。けれど、自分の体や頭というものは動かさないとその機能を失って行くのだ。そのことに気がついてからは自分で出来る限りやってみようと思うようになって来た。要はしたいことが出来なくなるというのが嫌なだけだと思うのだが。大きな夢も希望も特にないが、単に歩いてスーパーに行って好きな物を買う力が無くなるということは嫌だなぁと思ってしまう。あのパン屋のあのケーキ屋の・・・とか。自分で見て、選んで買えない。その場に行って、お店の雰囲気や空気感を楽しめないのは悲しい。レンズ越しで見ることは出来ても、ねぇ・・・。

お金を遣って誰かに頼むということがある意味全盛期であるから、誰かに頼んで家まで運んでもらうことが可能だ。でも、運んでもらえるその物自体を楽しむことは出来たとしても、そこにいる人たちも含めたものを総合的に楽しむことが出来なくなっている。お出かけ、と称した小さな楽しみもなくなってしまうのだ。煩わしさとも言いかえることが出来るけれどネ。

誰かに何かを頼んで、自分は家にいてゴロゴロしているということを続けて行くとどうなるか。服を外出用に着替えなくていいというのは、外出用の服を考える思考まで失って行くのだろうと思う。髪型、自分の表情、声の出し方等々、これらについて簡単に気を配っていられたものは気にしないままになる。普段やらなくなると、やろうとしたときに「さぁ、やるぞ。」と改まって行動することになって、自分はとても面倒になっていた。改めて意識的になり、気を遣っていたところはどこかと考えて動くのはきっと大変なことなんだよな。

声を出して会話するということでさえ、使わないと錆が出てしまうかのように、使うのが難しくなる。今は家族が同居しているから話をすることが増えて、会話を多くしているけれど、一人暮らししていた時期は、誰かと会って会話をするというのが慣れるまでの数分、頭の中で言葉を発するとは?なんだっけ?と、いちいち大変な作業だったと思う。自分は一日の中で少しは外をぶらぶらしていたから、誰かと出会って会話する時間が多かったように思うが、それでも頭の回転は悪かったように思うし、言葉の言い回しも選んで引き出すことがすぐに出来なかったように感じた。使わないといかんな、と思ったものだ。

頭を含めた体を存分に使い続けることが、いくつになっても使い続けることが出来る大事な要因だと思う。使わないものは使えなくなるよ。やらなくなって忘れてしまった!というものが大人になると増えて来る。忘れないうちに動いた方がいい。自分もきちんとした文章を書くという動作を忘れてしまっている。今日も何を書いたのやら。たまには起承転結等がはっきりした文章を書いた方がいいよな。でも、まぁ。

今日はこのへんで。