食べれなくても身になった

昨日の月は綺麗だった。晴天というわけではなかったし、特別の月というわけでもなかったが、合唱の仲間と練習後に歩いて帰る途中の月は大きく美しかった。気分いいな。少しだけ丸く大きい月の輝きと下らない会話を土産に家に帰る。日々そういうのが幸せというものだろう。まぁ、日々が次々と重なって忘れてしまうことばかりだが、忘れたっていいのだ。それだけたくさんの幸せがあり過ぎて、幸せの記憶の序列の後ろの方に行ってしまっただけで、確かにあったものなのだから。いっぱいあって忘れちゃっただけ。当たり前のようにたくさん転がっていて、だからこそ特に覚えていないのだろう。そう思う。

この合唱はというと、また本番が近い。先日の小さなコンサートが終わったと思ったら、あっという間に次の発表会だ。会の始めと終わりに参加団体が一緒に歌う歌が決まり、自分たちはトリなので壇上で終わりの歌をハモラせることになっている。伴奏担当も急遽練習メニューが増えてしまったのでドタバタである。聞いていた話と違って途中から転調・メロディーの変更もあるので、これから10日程度で覚えなきゃならない。ピアノの発表会も間近なのでこれから日々練習が増えるなぁ。ブログを書いている時間がない?かもしれないな。

先日、屋根修理が終わり、作業の道具や資材がなくなったこともあって、庭の手入れを少しずつ始めた。梅と柿の木の枝で邪魔になっていたところを剪定した。修理している最中はロープがかけられてコンパクトにされ、自分も出入りする際に動きやすく感じた。これは明らかに邪魔なんだと思ったので、長く茂っていた部分を思い切って小さくまとめることにした。これから先、植物に合わせ過ぎてしまわず、適度に自分サイズに変更して、いつまでも長く植えていられるようにしよう。剪定だって自分がやるには一苦労になる時期が来る。大きすぎないように今から上にも横にもサイズダウンをこまめにしておこう。いきなりザックリというのは植物にも負担がかかるそうだ。古い枝を落とし、風通しも良くして、虫の有無も見やすく。今年もたくさんの実をありがとうだ。来年も実が欲しいけれど、たまに実をつけない年が3年に一度ほどやってくる。来年は無いかもな。

他に鉢植えのマンゴーとレモングラス、アロマティカスを昼間の暖かい時間に外へ出し、夕方暗くなる前に家の中に入れている。マンゴーは沖縄のお土産として家族が持って来て食べた後の種をコップに入れて水栽培したのだが、背の高さが変わらなくなった(伸び止まりした?)ので鉢植えにして夏の日差しを当てたら葉っぱの数が増えた。寒い家で越冬出来るかわからないが、今のところ元気にしているようだ。レモングラスとアロマティカスは冬は室内に入れてね!絶対!と買った店で言われたので、同じような扱いをするつもりだ。レモングラスは青い葉を少し刈り取り、窓辺に干した。アロマティカスは小さな鉢植えだったものが5倍くらいに大きくなり、寒い空気にあたったせいか色が少し変わってしまったが香りはいい。マンゴーは香りがちょっと臭いのが難点だが、何となく南国モノとして一緒に置いて、香りをごまかしている。この組み合わせ、ちょうどいいのだ。

アロマティカスは虫よけになると聞いていたのもあって、少し弱くなった一枝をりんごの植木鉢に植え込んだ。りんごと相性がイイかは知らないが、問題なく根付いている。りんごも美味しいりんごを友人が送ってくれた物の種が発芽したもの。ちゃんと種が発芽して、見事に伸びて行くのを目の当たりにすると、木になる植物なのだなと実感する。けしてりんごというものがポコッとどこかから生まれてきたわけじゃないのだ。成長を見て来て初めて実をつけたり、つけなかったりすることを知る。自分で育ててみて、どれだけ努力して農家の人が美味しく育てて来たかを初めて感じさせられる。簡単に育っても自分の口に入るまでの道のりは長かったり、タイミング良く収穫出来なくて虫に食われたり、種類によっては取る前に実が落ちてしまう物もある。簡単でありながら、適切に収穫して食べるというのはとても難しいのだ。一度自分で食物を育てるというのは物事を考えるいい経験になるだろう。自分は育てるために散財もして失敗してばかりだが、その分買って食べる物にも育てた人へ尊敬の念と感謝する心は持てた。頭で理解してわかるのではなく、感じたということは大きい。

ああ、また書いていたら長くなってしまった。どうも「ただ書く」ことになってしまう。今日もこんな感じで駄文をネットに流している。読んで下さる人がいるのが不思議だが、最近はこの感覚を楽しんでいる。ありがとう。

では今日はこのへんで。