光熱費等の請求連絡の紙だった物が、だんだんと電子連絡への移行を勧められている。誰が連絡費用を負担するかという点で、利用者側が負担することになり、どちらにしても費用が増しているということになる。何かのサービスには一見わからないけれどお金がかかっているからだ。紙の使用を減らしエネルギーの消費を減らすため、という言い方をされているけれど、ネットを利用するためのサーバー等に使われる大きな電気の使用量やそのための資材・機材や人件費、それらの負担をこれから個人の費用から捻出してネってことになっているだけだよなぁ。紙で送られる場合の請求額220円だった。もしかしたらそちらの方が安いかもしれないし、エネルギーコストが低いかもしれない。
調べる術も気力もないので言われるがまま、自分も電子連絡へ変更した。ただ気になるのは、ネット上に浮遊する自分の情報がいつ壊されても、何かしらの紛争が起きて裁判が必要になっても、それによる何か金銭の請求が生じても、会社側はすべての責任を負わないらしい。自分が見えないところで起きたことも、個人の責任として負わされるのか~と思ったら、一瞬ネット上でOKのボタンを押す手が止まった。しかし、抗えないのが事実。まぁ、請求される金額を確認なんてする必要が無いと思ってしまえば、紙請求も電子請求も断って、それはそれでいいのかもしれないが。もしくはまとめて1年の請求明細を紙でもらうというのはだめなのだろうか?電話で聞くとか?きっと迷惑行為になるんだろうなぁ。それなら大人しく紙ベースで請求書を貰う方がいいか・・・。電子請求だとスマホが格安の金額だったとしても、その金額が最低限必要になる(プラス初期費用も必要)。みんながみんなスマホを使用しているという基準で話が進んでいて、いやぁ~参るね。ネット環境縮小したい自分としては、目に見えてかかるお金と比べてどうなのか検討しないとなと思う。
実際にネット環境にかかっている費用は携帯と固定電話、有線のネット&Wi-Fi付き、ケーブルテレビも合わせて1万円ほど。この金額と紙ベースの請求額を考えたら、紙ベースの方がお金は安いよな。本当に電子請求を見るのが安いのか?と考えてしまう。使用頻度が少なくなったテレビや固定電話を削っても、少なくとも数千円がかかることになる。でも、その数千円内でついでにまかなえるから「つい」便利だしいいかと思って変更してしまうことになってしまう。でも・・・である。
話はちょっと違うが、今書いていて少し気になってケーブルテレビ普及率を見たら、数年前に総務省がデータを取っていることが判明。こんなことを国はわざわざ調べているのだなぁ。テレビを有線にしたがっているのか?調べているということは注目しているデータなのだろう。なんだか気に食わないなぁ。昔のごく一般的な家庭ならば、アンテナをつけてテレビを見ていただろうに。知らずにもしかしたらお金をかけさせられているのかもな。自分のこの家は電波障害が大きくて映像が不安定で映らなかったので仕方なくにケーブルにしたが、普通の民放テレビでいいならばお金をかけて固定費をわざわざ払うこともないだろうに。何だかモヤモヤするなぁ。やらされている感がある。国の目的があるからこそ調べられていたりしたことに、気にもしていなかったけれど、国民は何やら意図的に動かされているのだろうよ。
とは言うものの、実際にはテレビ離れが進んでいるらしいじゃないか。ここ数年若者と話していても、スマホは持っていてもテレビは持たないし、テレビは見ないと聞いていた。最近では、若者に限らず、高齢者や自分のような50代でも、テレビ放送は見ないでネットを見ている話ばかりだ。テレビという媒体はネットも一緒に見られることが出来るようになって、ほとんどがTV放送ではなくYouTube等の映像を見ているものとなって来た。どこへ向かうのだ?自分も含めて。
YouTubeを始め、自主情報のような物が今は氾濫している(ブログもね!)。今まで国がある種の統制をかけてモラル等基準を守って来た放送や、複数の人に検証された情報よりも、個人的なものが好まれている。自分も含めてだ。でも、この先はどれを信じたらいいかわからなくなる。今はフェイクニュースも流れているけれど、何を根拠に目の前の映像や情報を信じて行けばいいのだろう。情報の拠り所が、「以前テレビの報道番組に出ていた人」なんかの発言で最終的な信頼性の判断になってしまっている気もする。かつてテレビ放送は規制があって自由さが無い分、流される情報も人も複数の人間に検証されていて裏が取れている人であり、信用出来るんじゃないかと思い込んでいる名残りからだろうと思う。それが昨今速報を重視したり、昔よりは放送の規制が自由になったせいなのか、後々危うい情報だったということもテレビから流れて来るようになった。情報をそのまま鵜呑みにするというのも良くない行為かもしれないが、単に「テレビのあの人が言っていたから大丈夫」ということすら信じ難くなって来たように思う。簡単じゃなくなったよねぇ。ひとつのことを信じて、素直に騙されるということさえ難しいのだ。
この先、テレビに出ていた人は単なるそこら辺にいる人になり、きっと信憑性もなくなり、さらにそれすら見ない人が多くなるわけで、今みたいに○○さんが言っていたからということを信じてネット上の単純な詐欺に引っかかることもなくなるだろうけれど。ネット上でニュースというものすら、信用することが今後も出来るのだろうか。ある程度権威のあった新聞だって、お客様受けを狙っていないとダメになって来て娯楽の紙面が多くなり、そもそも意見を持っているのかなぁとも思う。出版物も怪しくなって来たゾ。誰でも何でも出版出来るからね。気に入ったあの人の言葉は信じられる?それ本当?大丈夫?
いちいち疑って、日々の些細な出来事の何でもかんでもを自分で判断しなくちゃいけない社会になって来たなぁ。あれ?自分はそんなに賢かったっけ。大体の物事は誰かの意見に頼っていたのに、拠り所がなくなっちゃったなぁ。ひーん。ヤバイな。情報を読み取る判断に失敗したら最終的には自己責任ということばかりで大変な世になるのかもな。甘いところがどんどん減る一方だ。複数の意見に目を通すことが必要だとわかっていても、AIにお勧めされた似たような意見ばかりに気がついたら囲い込まれそうだし。ああ面倒くさいよ。
では今日はこのへんで。