その機能は今も標準装備ですか?

道具を上手く使えるようになる、ということは、いろんな道具が生まれた今の時代では生きて行くために必要不可欠な技術なのだろう。マルチで便利な道具を使えば使う程、人間が持つ素晴らしい機能はなくなるのかなと思う。今だって、このブログをPCで書いていて、ペンと紙を使って書いていた頃とは違う体の動かし方をしている。頭だって、使う部位がきっと違うだろう。指先の感触はPCのつるつるした表面を触り、深く指を押し込むかほんの少しの圧力で文字を描いているのだから。今でも紙に書くのは好きで、その時その時の気分に合わせて、紙の種類や筆記用具を変えている。そういう感触すら、記憶に残らなくなってしまうかもしれないな。いつかもっと年を取った時、今の年齢の記憶が遠のいて消え去ってしまった頃には、昔つかんでいた鉛筆やクレヨン等の触り心地だけが「文字を綴ること」の感触として残っているのだろう。それはそれでいい。

今は、AIを上手く使うという人が増えているみたいだ。こっちから見ると、使われているのか使っているのかわからないが。雑多なことは便利な道具類に任せて、自分の時間を有効に使えるように見えるが、その雑多な楽しみを奪われている気がしている。自分はこのブログのタイトルだって、推敲だって、AIにはやらせない。まぁ、自分は雑多なことを楽しむ方の人間であるからな。それに、AIや他の便利な物を利用すればするほど、たぶん、その結果時間がたくさん余ってしまって、自分は次の娯楽を探し回る羽目になる。ならば、便利さをどんどん手放して行って、自分の体や頭を使って時間をかけることを楽しむ方がいいのだ。結果、下手なままでもいい。その行為を楽しむのだ。

ちょっと不思議なんだが、みんな何をそんなに便利さを詰め込んで時間を作ろうとし、その挙句に空いた時間を遣って何を充実させて暮らしているのだろうか。一日の中で、より多く、よりたくさんの物事が消化された後に、数分だか数時間の空き時間にまた何を詰め込んでいる?一日24時間という持ち時間は誰も彼も同じであるし、時間の進み方も同じである。自分の呼吸や心拍は確かに延び縮みするのかもしれないけれど、病気でもない限り基本的には同じようなテンポで機能していると思う。生まれてから生きているスピードは変わりないのに、便利な物に生活のリズムとテンポを合わせて生きているみたい見える。忙しい感じがする。物事を消化するためのそれぞれの適正量ってあるんじゃないだろうかとも思うし、人間という生き物が便利な物の消化スピードに合わせて生きて行くのはちょっと違うんじゃないだろうかと思う。

便利な物を使ってラクをしているはずなのだが、使うには結局自分で作業等の管理をするという行為が必要になる。メンテナンスも必要。自分の中で使われていた機能が外部へ移ると、自分の中に今まであったそれらの機能が失われる代わりに、物の管理をするという新たな機能が自分の中に生まれることになっただけじゃないか?いやー、便利な物はけしてラクはさせてくれない。きっと、ラクさの種類や範囲が変わっただけのことだ。変わんないよなぁ。だったら物事自体を削る方が自分はいいなと思ってしまうよ。

そう思ってハタと気が付いたときには、今ある便利な物は簡単に削れない物となっているところが、ああ恐ろしい。管理も大変で、維持費もかかったりする。面倒だな。便利な物はそれを使わないと自分の機能に不具合があってどうにもこうにもその行為が出来ない、というときにこそ使うと補助されて便利かもしれないが、けしてプラスになるわけじゃないなぁ。全部の物がそうだとは言わないが・・・。

○○の自動機能付き、なんていうものはかなり恐ろしい。それを使うことによって調節をするとか気にするとかいう自分の機能がすでに失われてしまったんじゃないかなぁ。家にある安いコンロだって、高温になると自動で火加減が弱まったり、消火までしてくれている。安心で便利~♪と思っていたら、自分の中にあった「火をつけているのだから気をつけて!」という緊張感まで失われてしまうかもなのだ。誰でも簡単に○○出来る便利な物は、○○出来ないという人を多く育てている。人間にある○○の機能は削って、他のもっと面倒臭い何かの機能を得ているかもしれないけれど、よくわからんなぁ。それもいやだなぁ。

では今日はこのへんで。