暑い。今年はつい先日まで夜もすぐに眠れる位、夕方には温度が下がっていたにもかかわらず、ここ2、3日は30度から下がらないままで、風がない。夜は冷凍庫で冷やした水枕を置いて、扇風機を回すことにした。今朝も風があまり吹いていないので扇風機を回して、部屋の温度が一番低い部屋でPCをつけた。他の地域では40度近くあるわけだから、まだマシなのかもしれない。庭が大体日陰の植物もしょんぼりしてしまう位今年の夏は雨が降らずカラカラで、地植えのミョウガでさえ葉を細くして陽をあまり受けないようにしているようだ。夜に風呂の残り湯が冷めた頃に、その水をバケツに汲んで庭にまいている。1階と2階の間にある屋根が夏の日差しを受けて熱くなるので、窓から水を流して冷ます。そんなことがだんだんとルーティンになって来た。暑さと雨の無いせいで蚊も小さい。成長が間に合わないのだろうか。一匹の蚊の人生を短くして、次々と次の子孫を残しては命を繋いで循環して生き延びようとしているのだろう。その小ささのせいで見つけにくくなっていて、蚊を捕えにくい。蚊との攻防は続きそうだ。
だんだんとスイッチを入れれば安全で安泰で生き延びられると考えられて来た生活も様子が変わって来たなぁ。あちこちで暑さによる機器の故障を耳にするし、ダムは干乾びているし。エアコンや扇風機でさえ、電気系統の故障や電力の使い過ぎであっけなく止まることもある。いかに快適に、ということを目標としていても、手段がひとつしかないとか頼り切ってしまうのは考えものだなと思う。元々日本は災害大国なのだから、昔からあった知恵を使い、駆使したその上での快適さを利用するようにしないとなぁ。同じ快適さを全員が24時間同じようにむさぼることになるとどうなるかというと、今の世の中の姿なのだ。急激に同じタイミングですべての人が同じエネルギーを使う。そんなことを続けていると、エネルギーの枯渇が早く進むのは目に見えているじゃないか。どこにでも夜と昼があるのだから、同じ時間帯に何かを集中する必要はないだろう。日本がいくら狭いとは言え、広がった地域である。何事も活動を分散出来るといいのになぁ。とは言っても集中した方が効率良いこともあるし、まぁ、大事なのはそのときそのとき「何の」効率を重視して考えたら良いかという点かもしれないネ。
自分は地味なことをコツコツ続けている。どこへ顔出すわけもない日はとにかくとことんラフな服装にして熱を逃がす。締め付けない服を着る。食事や水分を取り、昼寝をして、日中はなるべく何もしない。やらなくていいことばかりなら、やらない。活動自体を放棄することにしている。我慢してとか、努力して、というのは自分のためにも世のためにもなるときはあるかもしれないが、必要に迫られていないなら、無いやる気をわざわざ起こさないようにしている。暑いし何も考えられないなら、そのまま考えないようにしている。やる気が起きたときだけは、自然に望んで動けるものだ(経験上そう思う)。あとはただ生きながらえて、休んでいる。生きながらえる、そう、とりあえず暮らし続けるのだ。滅茶苦茶生き生きしてる!というような生き方ではなくても、生きていることだけでその先に何か面白いことはやれるタイミングがある。今は気持ちも下がって、体力も体調も良く無くて、やる気も無い・・・ならば、素直に寝転がって気の向くことをやってやり過ごし、体力を温存して、体調を整えているのだ、とでも言っていればいい。いつだって準備期間でもいいじゃないか。その期間が長い人も短い人もいるし、動くタイミングがダラダラやっていて小刻みな人もいるし長く集中してはプツっと切れる人もいるのだ。人生って人の数だけいろいろだから、タイミングも準備期間もいろいろだ。人と比べても仕方の無いことだと受容して、自分なりに生きるものだろう。
若い人から見たら、それは諦めなのでは?という感じに見えるかもしれないがそうではないなと思う。年齢を経て、やっと今になってジタバタしなくていいんだなと思えるようになったのは確かである。若いときは人とある程度同じことをやっていないとダメだなとか、出来ていないとなとどこかで思っていた。常識や標準的なとか、一般的なものみたいなところを基準にして自分を計り、その基準に到達していないと社会では生きられないような気がずっとしていたんじゃないかと思う。その基準に当てはめると、所謂ダメな自分という烙印を自分で押してしまうようなことばかり。ずっと先人たちから言い尽くされている言葉だが、当てはめないこと、あとは「人間失格だ」というような烙印を自分で押さないことだ。人としてどうなの?って言われるようなことは大抵やらないし、もしやっていたらやめればいい。社会人としてどうなの?みたいな類のことは、あまり気にしなくていいと思う。みんな違う生き物だし、時代によって必要とされ求められ称賛される能力は異なる。そんなものイチイチ追い求めているのは無駄な時間で、出来る人がたまたまタイミング良かった!と享受するものかな。体が勝手に浮かんで泳げてしまう人が今すぐ泳げない人になるように努力しろと言われているようなものかもしれないよ。
ああ、また長くなってしまった。今書いていた文の中で、なぜそう思えるようになったかを知りたい人もいるかもしれない。実際のところ、大きなきっかけがあってとか、そういうものではないなぁ。年齢を経て、体験して、自分が感じたことを繰り返して来て、じわじわと答えが目に見えて来たような感じである。だから、自分はこうだけれど、同じような場面を経験して来ても、自分とは違った意見を持つ人もいるだろう。みんな違うんだ、ということ。自分のことばかり話している、と人から言われたとしても、堂々と「そうだよ」と思って書いている。自分は自分の言葉を話すものだ。
ではまた。今日はこのへんで。