感覚に従って生きると世の中でなんにも成し遂げられない気もするが、自分を大事にしている感はある。

放置された言葉が詰まった自分のブログはどうなっているのだろうと、今日は覗いて見た。まぁ、見た目は変わらないね。自分が書いていないのだから。自分がどこかで動き回っている間にここに自分の言葉は残り、顔も知らない誰かが見返したりしていることもあるのかもしれないなぁ。

自分が世の中にポンと放ってそのままの言葉が、今後の自分の人生にどう関わって来るのだろう。自分が書いた言葉が誰かの目に留まって、お互い気が付かない内に、周りと小さな歪みのように影響し合って、いつしか自分に返って来るのかもしれないな。

そう思うと、ブログを書いていた日々と書いていない日々は同じだと感じる。巡り巡って自分自身に影響しているのだ。だとしたら、今ここで生きている自分が何の影響も無いことなんて、ある訳ないなぁ。過去の自分、現在の自分、未来の自分へと、ただ生きているだけで影響し合っているのだろう。ちょっと怖くもなるし、ちょっと楽しみでもある。

さて、この一か月ほど、ブログを書かずに毎日何をしていたかと言ったら、ケーキ屋の手伝いを週に2回ほど行き、その他はひたすら映像等作品を見たりしていた。暑さには完全に負けていた。家の床に寝転がりながらテレビの画面を長いこと見ていて、うつらうつらしていて一体何を見ていたのやら・・という日もあった。暑いだけで疲れるよな~。眠りたいときには眠り、一日3食はきちんと食べていた。疲れて昼間眠たくなってそのまま昼寝しても、夜も寝ている感じがするし、朝はなぜか7時には目が覚める。割と規則正しい生活だった。小学生相手のボランティアも始まったので、打ち合わせ等の時間も増えた。寝転がっている時間が長いと自分では思っていたが、意外と動き回っているな~。そうやって他人との間で何かしら動いていることもあるから、少しは世の中の役に立っているかもしれないという程度の満足感もあり。まぁ、体調が悪くないというのが一番ありがたい日々であった。

ところで、ここ2年ほど、仕事をせずゴロゴロしようと決めて、自分はかなり本格的にゴロゴロして生きようと思って暮らして来た。このブログを書き始めた頃は単に仕事を辞めるということだけでなく、とにかく「自分に向かないことはやめること」に努めて来たように思う。そうやって生活して来て、今は少し自分の楽しみや喜びを見出して来た。同時に自分ではどうにもならない強情なところも再認識した。興味が無くなった対象には完全に無関心である。損得など無いし、自分の中からすっぽりとその存在が抜け落ちて行く。自分の感覚に対して策をして抗うことなど出来ないのだなと思った。どんなお膳立てをしようとも、全く機能しない。自分の心のままに生きるしかなく、「こうやった方が生きやすいだろうに。」という自分については諦めることを学んだ。

そんなこともあって、夢中になっていること以外に向き合うことなど出来ないという自分をきちんと自覚し、今までよりもさらに無理をせず、ゴロゴロ時間を増して、気ままに思うように暮らすしかないのだと再決心したところである。例えそれが他人から見たら常識を外れる生活であったり、仕事が長続きしない人だと思われることであったり、自分はダメな人だなと思う自分がいたとしても、である。自分は自分が思うようにしか生きられないのだよ。

そして、きっとみんな誰でもそうなのだろうとも思う。恐らく、みんな無理して生きているのだネ。無理し過ぎて生きているのがほとんどだとしたら、それはお互いにとって良くないけれど、人との間でお互い相手に当たらないようにほんの少し自分の角を取る程度の無理はちょうど良いのだろう。自分にもその程度の無理は備わっている気はしている。もう少し、自分にとって嫌なものとか苦手だなと感じることを減らし、良いことだとしても興味がなくなってしまったことは手放して行くつもりだ。その先は実のところまだよくわからない。自分の中で大事なものも変わって行く。自分は、たぶんそういうことを感じたんだな。いいタイミングだ。新しい時期に到達して、また新しいドアが開いて行くのかもしれない。

ではまた。今日はこのへんで。