今日は手に持つ箸に力がこめたが、明日はフォークか、ペンだろうか。

ああ、今日はどんなことを書こうか。きっと何か書いたら嬉しいこともあるのだが。なんて、それがわかったのは、手伝いに行っているケーキ屋で、必要に迫られて書いていたケーキの感想を店主が楽しみにしているのだということを知ったときだった。あははは。知らなかったなぁ。小説みたいで面白いよと言われた。読むのが楽しみなのだと言われた。

そういうときは、いつでも非常にくすぐったく、嬉しいものだ。まるで、くすぐられるのを避けるようにお腹に力を入れて、腹筋をへこませて逃げているような感覚である。自分は嬉しいけれど逃げちゃうねぇ。本体の中心辺りをくすぐられてる。

自分は書くことでそうなる。書けば、自分自身が笑顔になることを知っている。小学生の頃に書いていたノートの落書きのような漫画の続編をクラスの人が楽しみにしていてくれたときもそうだったと思う。何かしら書いていることを続けて来て、それを読む人がいることや読んで笑顔になるのはこの上なく嬉しい。

だったら書けばいいじゃないか、とも思うのだが、最近は書くことよりも動き回って遊ぶことに専念している状態である。このブログの更新も1週間に一回更新したら良い方である。かと言って、何をして遊んでいるかというと、どこかへ移動して、店に入り、食べる。また移動するという繰り返しである。

それに気が付いたのは先日である。家族と自分、そして家族がピアノでお世話になった先生という3人で食事をしたときに発覚した。「最近は何しているの?」「遊んでいます。」「何して遊んでいるの?」「主に食べていることが多いです。」「食べているのと食べている時間の間は何しているの?」「…ずっと食べてますね。」という会話。我々家族二人はあちこちに出向き、食べているだけなのだ。

食べ歩きのブログなら書けるのか?というより、それしかやっていないのだから、書くことは「食べること」なのかもしれない。食べる行為は年齢的にも今しか出来ないことかも?などと思っている。歯や胃が悪くなったり、動き回る体力が無くなってしまったら出来ない。どれだけ今のうちに動いて、食べられるかが勝負なのかもしれない。

いや、違うな。生きている間の人間は一生食べる行為を止めないものなのだから、高齢になってもそれなりに美味しいメニューを必要として食べて生きて行くのだろう。若いときとは違う特殊な料理にはなるが食べることに変わりなく、それに伴って書くことも終わらないなぁと思う。今に限ったものではないなと思い直した。きっとずっと食べるんだろうね。

そうそう。先日は大学の友人と久しぶりに食事に行ったのだが、蒸しせいろに乗った山盛りの野菜と肉を食べ続けた。めずらしい野菜も入っていた。とにかく夢中になって食べる。話す。あと少しでお茶碗のご飯を全部食べ終わるなぁと思った頃に、箸を持っていた右手の薬指と小指に違和感が・・・。考えてみたら2時間ほどずっと箸を握ったままである。一生懸命食べ過ぎて、箸を持つ手に力が入っていたようだ。笑えた~。自分はどれだけ懸命に食べて生きているのだろう。やはり、食べては書くのだ。ただそれだけの自分がいるのだな。

では今日はこのへんで。