今更、誰も気にも留めない「米」の話も何なのだが。

米が安く出回り始めているようだ。決まった銘柄の米を買っている自分にはあまり関係ない気もするが、周りで安いと言われる米を並んで買っている人はどんな人たちなのだろうと興味が湧いている。米そのものは日常的な物で必須のような存在であるし、自分も安価で手に入る方が良いとは思うのだけれど、あまりに安過ぎて米農家が困るようでは自分も気持ち良く手に入れにくい。安ければ安いほどいいとは思えない。安く手に入った方がいい人には安く手に入れられて、それほど困っていない小銭持ちの人は安過ぎない値段の米が手に渡る程度でいいのではないだろうかと思う。

高くなってしまった米が買えなくて本当に困っている人が行列に並んでいるとは思えないなぁ。米を買うために列に並べる時間の余裕がある人なのだな、と思って見ている。困っている人はその時間働いていたり、何らかのことを背負っていて、安価な米の列に並びに行きたくても動けない理由があって行けない気がする。役所や社協等で生活保護等を受給している人や働いているけれど生活に困っている人なんかをある程度把握しているのだから、該当しているその一人に対して一か月に最低限5キロ一袋優先的に手に入れられるようなお米の整理券のようなものがあればいいなぁと思ってしまう。

まぁ、役所等にそういうことをやらせようとしても、すぐには出来ないものである。実施出来るまでに法律を整備したり予算もその仕事をする人員も必要で、時間がかかってしまうから、即効性がない。仕方が無いよな。(だからこそ、公の機関は今回を機に準備をしておいて欲しいな。それに今見えない困窮者を見つけられる機会にもなったらいい。)

じゃあ、普通の人に出来ることは何なのかと言ったら、小銭持ちでそれほど困っていないのなら、自ら率先して敢えて安価ではなく適度に高い米を買うようにすることだ。無理して高い物を買う必要はないが、多く出回っている金額の物を選んでも自分が払える懐具合であったのなら、安価な米に群がるのはやめておいた方がいいのだ。なぜか、昨今いつの間にか安い物に誰も彼もが群がるようになってしまっている。変な感じだ。

それだけ社会の不安が体にまとわりついて、この先の未来に向けてお金など少しも遣っていられない、貯金をして節約して・・・という感じなのかもしれない。自分もほぼ無職だし、いつまでこんな生活をしていられるかと考えると節約したり出来るだけ安価な良いものを手に入れた方が長い目で見たらいいのかもしれない。けれど、今日明日食うに困っているわけではない。1ヶ月先はまだ食える。その程度だとしても、1か月先が見えない人よりは今食うに困らない程度だ。そういう人間がなぜ今も食えない人間を差し置いて、率先して安価な物に手を出して、目の前の自分の数千円を浮かそうとしてしまうのだろう。お金というものは、塵も積もれば山となるのかもしれないが、「お前、そこまで困ってないだろう」と自分自身に対してどうしても思ってしまうなぁ。

お米の値段が上がって、今まで自分が買っていた銘柄の米も数千円上がってしまった。でも、店の棚にあるだけマシだなと思った。無いより有るのだから、店の棚に全く無い時期よりは困っていない自分がいるのだ。まぁ、自分はそんな感じで、同じ銘柄を買い続けている。この値上がりした数千円は、自分よりも生活に困っている人への寄付みたいなものであると思っている。もしも自分にその数千円でさえ払えなかったら、並んで安い米を買うかもしれない。けれど、食べる量をほんの一口分毎回減らして、買う回数を少し減らすことで調整したっていいのだ。きっと自分が買わなかった米の一袋が生活の苦しい誰かの手に渡るのだ。そう思ったらホッとする。いつだって出来ることはあるよな。

では今日はこのへんで。