もう、全力で食べることにしました。

旅行中、食事をするときに人と食べるときの方が美味しさを味わえるのはどうしてなのだろうと思っていた。ここ一年近く、一人暮らしをするようになってから朝食の際に習慣的に何らかのネット画面を見ていたので、早速電源を入れるのを止めてみた。先日の旅行中に家族といるときはテレビなどを一切つけず食事をしていたので、1つの違いがもしかしたら全然違うかもしれないと思ったのだ。音楽も聞かず、目に映るのは食事のみ。やってみたら、他のことを同時にやらないことで美味しさと満腹感が増すことに気が付いた。

やはり人間は一つのことにしか集中することは出来ないのだろう。違う感覚をすべて同時進行で感じるなど無理な話なのだな。目と耳と嗅覚と舌とがバラバラに働いているようで、それぞれが単独で自動運転は出来るけれど、総合的に動いていないのだ。意識していることがどれだかわからない。それぞれが全部テキトーである。だからなのか、記憶にも残りにくい。

画面を見ながら食事をしていると、どちらかと言えばその画面を目で見た物について何となく記憶しているけれど、その分食事の一部始終が曖昧なのだ。美味しいという感覚が鈍い。そりゃそうだな。せっかく目にも美味しそうに映っていたはずの準備した料理をしっかり見もせずに食べ終えていたのだから。

音源も同じである。音を消すだけで、とにかく静かである。近くで耳に入って来るのは、今食べた食べ物が咀嚼される音。耳でも食べているんだな。もしも音楽を聴いていたら、外部からの音に意識を持って行かれてしまっていたな。

画面を見ずに食事をすると、箸でつかんだ食べ物を口に入れるまでの一部始終をしっかりと目でも見ている。やっぱり目でも食べているよネ。食べるというのは体のいろんな部分を使って行うひとつの総合的行為なのだな。別々に付いている体の部分ではあるけれど、結局確かな分業は出来ていない。自分という意識が取りまとめて、体全体で食事をしているのだろう。

誰かと食事をするときは、一方向へそれぞれ意識が向いている。話をしているときは相手を見て話をしている。自分の目や耳が相手に対して集中していたと思う。その代わり、口に食べ物を運ぶときは目で耳で口で・・・と体の複数の部分を同時に使って、しっかり食べている。話す、食べる、話す、食べるの繰り返し。どちらも味わうことを全力に近い形でやっていたよな。そうだ、全力だ。

食べることに集中していたら、どう考えたって美味しいと感じる感覚が増すものだろうネ。味もそうだし、胃の具合等の感覚を意識しながら食べられているのだから、満腹の感覚もちゃんとある。食べる行為に向けた意識がぼんやりしていた今までは、気が付いていないけれど案外食べ過ぎのことも多かったかもしれない。自分で思っていたよりも、今はかなり早い段階で満腹感が出ていることを考えると、きっとそうだろうな。

長い間、食事の美味しさを半減させていたなと思う。○○しながら、というのは所詮無理で、人の体はあれもこれもを一度には出来ないものなのだろう。もったいなかった。これからは食事のときは食事のみに集中して、体全部を使って美味しく食べよう。まずは朝、何らかのスイッチや電源を入れないということを守ってみようと思う。

では今日はこのへんで。