「騒がしく楽しい」が通常になると、静かで一人の時間を欲するもんだな。

家族が常に出す音がうるさいなぁと散々こぼしていたからなのか、先日帰宅したばかりの家族が旅行へ行く日が増えて、数日また静かになっている。やはり家族とはいえ、家で過ごすことが普通では無くなった現在では、自分が一人で過ごす方にしっかり慣れてしまい、人が家にいることで生活ペースも乱されて静かになることがない状況になって、かなり疲労感がたまってしまっていた。以前のようにたまに帰宅する期間であればその時期だけ集中して付き合って、その後他の用事を済ませたり、進めることが出来ていたが、「いつまで」という期限がないのだから、遊びっ放しという日常を続けることが考えられなくなっている。お金もかかるしね~。楽しいけれど、続けるのは正直なところ難しいな。

今夜からまた家族が帰宅するのだが、話をするのが嫌ではないが、他の用事も押し寄せて来ているから慌ただしくなる。ケーキ屋の手伝い、友人に会いに行くこと、合唱の練習やピアノレッスンに行くことについてはすんなり行こうと思えるが、ボランティアについては実際の活動よりも事務的なことが増えたこともあって、あまり乗り気になれないと感じているのがわかる。生きているとやることが増えるんだな。やることが広がれば人付き合いも増えて行く。まぁ、ボランティアより家族優先という意識が自分の中にあるなぁ。人と会わない時間に自分がやっていることはほとんど人生の暇つぶしであって、放ってしまうことになるのだろうと思う。自分の優先順位は意外と明確なのかもしれない。

そう思いながらも、優先順位が逆転することがある。やることが増えたせいで自分のエネルギー切れで、家族のことや友人のことをあからさまにポイっと投げてしまう状態の時期。とにかく一人でぼーっとする時間が必要で、充電と思考の整理が必要になる。世の中のいろんな人が同じようなことを言っているかもな。一人の時間が必要なのだ。

自分が何を思っているのだろう?と問う時間が無く過ぎてしまうと、自分がすでに即答出来る表面的なことのみで物事が解決されて、目の前を流れて行ってしまう。そしてそれがどんどん増えてしまう。ちゃんとした答えを出していないから、後々何を悩まなくてはならなかったのか忘れてしまって、自分の知らないところで小さな疑問が積もってしまい、よくわからないモヤモヤが残ってしまう。

もちろん全部に回答することは出来ないのだが、回答出来なかったものについて何を問いたかったのかを忘れてしまうというのは、そのときの自分が気が付いた大事な何かを捨てることになってしまうのだ。せっかく気が付いたのになぁ。うやむやになることも良いことだろうけれど、気になってしまったことは自分が考える必要があったことを自分自身が知っているのである。見て見ぬふりをしたなと思う。あ~あ、と少し気まずい。

そんなもの忘れたのだから、忘れてしまえばいいのだろうし、本当はもうすでにたくさんのことをとっくに忘れてしまっている。自分に向き合おうと思っていたことをたくさん捨てた状態で、今までもこれからも生きていくのだろうけれど、たまには自分に向き合いたいのだと思う。ああ、そのときの自分はどこかへ行ってしまった、と過ぎ去ってしまった自分に手を振ることが多くなるのはやはり少し嫌なのだ。ああ、だから一日に1回位はどんなに忙しくてもブログを書くというのは良いのか。納得だ。

これからピアノレッスン。では今日はこのへんで。