陽気がいいと床でごろりと寝ころんで、そのまま昼寝してしまう。昼寝したから寝れないな~と思っていたにもかかわらず、昨日は夜になってすぐに眠くなっていた。寝た。しかもたくさん。予定していた目覚ましを3回無視して寝ていた。だったら目覚ましは要らなかったよな。
起きるために目覚ましはかけるもの、と思っていたけれど、どうやら朝ですよ~という時報のように使っているのだなと思う。時計を置いていないので、見るとしたら暗闇の中で腕時計を出すか、または携帯の電源を入れるかの二択である。
だが、老眼が入ってぼやけた目からはうっすら時刻を差しているはずの光っている腕時計の画面は見えない。それなら、と携帯の電源を入れて見ればいいはずなのだが、この急に光る物体が目を覚ますまでに自分が眠りに入ってしまうことを考えると、全く意味がある代物とは思えない。
ついでに言うと、夜だか朝だかわからないような早い時間帯で「まだ寝てもいいな」と思うようなときに、あの煌々とした光を見てしまったら、無駄に眠気が覚めて早起きして寝不足になりそうだ。だから睡眠時間がもったいなくて、結局電源を入れないことになる。
目指した時間に起きるという行為に伴わない大して使えないものを二つも用意している自分に気が付く。人って慣習みたいなものを繰り返していて、考えなしの行動をしてしまうものなのだな。いや、自分がか。人じゃなく、自分だな。
さて、今年度の国民年金の支払い通知書が来ていた。封を開けると、前年度よりも値上がりしている。こうやって毎年上がって行くのか。キツイよな。だからと言って年金や税金等を払うのは嫌じゃない。ただ払ったものについて、使われ方が適正であって欲しいとは思う。
自分が思いつくような使って欲しいところにではなく、知り得ないような気が付かないところに集められた税金は使われ、役立つものだろうと思っている(もしくは願い?)。一見しただけではきっとわからなくて、自分の知らない誰かの役に立っているし、明らかに不必要だというものを特定するのって難しいよな。
役立つ人が多い少ないというのは、公費が使われる先の基準となってはいけないだろうしなぁ。大勢の人がイイとか悪いとか言えるようなところではない、少数の人のためのところに使われていることも大切だと思う。だからこその公費かなと思う。(最近は結構恩恵を受ける人が多い少ないによって判断されているようなことが多くてなんでかなーとなるが。)
けれど、それをうやむやにして分かりづらく見えないようにして、私腹を肥やすためだけに利用されていたらと思うと嫌である。公費って理解出来ている人はどの位いるのだろう?本当に国の会計を隅から隅まで確認しているだろうか。自分で見ないとダメだろうなぁ。結局国民全員が見て、一つ一つを確認することが出来ないということで、誰か頼れそうな人に一任しているのが選挙なのかな。そのためだよなぁ。ちょっと自分は人任せにし過ぎかもしれない。人に任せて安心し過ぎ?
自分の代わりにやってくれていると思っているが、私欲のためにやっている人が多いのか?本当に私欲だとして、どの位その人は富みたいなものを手にしているのだろうか。こんな時代に、その人に本当にうま味はあるのだろうか。もし政治家にうま味がないとしたら、得をしているのは一体誰なのだろう。見えにく過ぎて、わからな過ぎて、誰に糾弾すればいいのかわからない。まぁ、それが狙いか。
まぁ、けして口はつぐまない。無知で馬鹿でも思ったことは口にするだろう。今のところ、年金は払った分だけは元が取れそうだから、自分は文句は無い。まずは国が存続することに協力しないと、元も子もないよな・・・むにゃむにゃ。寝言を書いたな。
では今日はこのへんで。