朝から宅配業者を待っていた。午前中に家族の荷物が届く予定で、着払いだったこともあって、ひとまずお金を確認して出しておいて、早めに着替えて待っていた。12時過ぎても来ない。午前中という約束が反故にされたため、相手とはもう約束もしていないことになる。だんだん待っているのが無駄な気がして来た。それでも動かないで本を読んで過ごしていたのだが、読み終わってしまった。荷物が届いたら近所のパン屋へ行こうと思っていたが、結局その時間に来てしまったら二度手間だなと思い、外に出るのをやめて結局家にいた。
時計の針が3時を指し示す頃に宅配業者がやってきた。「遅くなってすみません」と言われたが、すでに12時を過ぎた時点で元々約束が無かったような気になっていたので、もう腹も立たない。もし12時を過ぎて、3分位経った頃に業者が来ていたらぷんぷん怒っていた気もするが、3時間も過ぎたら忘れている。それともこの性格を狙って、後回しにした?んなわけないか。
それにしても今の世の中、配達の時間指定をすることが安易に出来る。わざわざ自ら時間を指定することで、何か物事が滞らないで済むのだろうか。自分の不確定な未来を縛る行為に見えるから、いつも自分は嫌で指定しない。指定しなきゃならないときは結構ストレスである。それにいちいちその時間を過ぎたときにイライラする自分が目に見えているのに時間を指定するなんて、お互いにわずらわしさを呼ぶ行為にしか見えないのだ。
時間指定して、お互いが便利で都合が良くなったはずなのに、どこかひずみが出ている気がする。人は機械ではない。お互いの都合を前もって決めても、状況が変わって上手く行かないときなんて度々あるはずだ。でもどこか当たり前のように「仕事なんだから」「絶対に」とか要求するけれど、そういうのって無理がないだろうか。指定時間に受け取り側が家にいないと業者の方も「居るって言ったのに」って思うだろう。なんだかんだ言ったって、生身の人間が運んでいるからね。お互いに無理をやらせてお互いに腹を立てる状況になるなんて変だなぁと自分は見ていて思ってしまうよ。
物を運ぶ仕事はすでに人手不足でブラックな職業であることしか耳にしないし、恐らく陸海空のどこもかしこも運送業はこれからも悲鳴を上げ続けるのだろうな。物を運んで欲しいと思って使いたい人は多いのに、使われる側である運ぶ人間が育たないのだから上手く行かない。これからは高いお金を払える人だけが使う手段になったりするのだろうな。せっかくとても安価で運んでもらえた時代だったのになぁ。安価にしていたから、みんなが利用するようになって業界がパンクしたのか?もったいないな~。
そんなに他人に全部やってもらわなければいけない人ばかりじゃないはずなのに、なぜ誰も彼もが他人に物を運んでもらうようになってしまったのだろう。自分で「○○をしない」というのがステイタス?ラクをするというのが幸福?お金があるんだし、時短になって、いろんなことを外注して何もしなくていい人~ってか。
でもきっと、○○をしないで済むということを繰り返して、何もしない人になって暮らしていると、いつの間にか自分はお金が無いと「何も出来ない人」になると思う。便利というものにお金を払って身を委ねているとそういう人にきっとなってしまうなぁ。そのためにお金をもっと稼いだりする時間が必要になって日々の生活で時短を選び、もっと便利な物を買ったりする。減ったそのお金を稼ぐためにまた働いて・・・と暇な時間がなくなりそうだし自分は嫌だなぁ。
話はズレ込んで行く。まぁ、いつものことである。こうやって書いていて、自分がお金をかけて容易く時短と便利というものを選んでいるとしたら何があるかと考えてみた。それはシェフが作るケーキである。外注して、自分で作らず美味しい物が手に入るからだ。だから自分にとってはかなり時短で便利である。
ただし、長年培われた技術に支えられて作られているわけだし、季節ごとに選んだいい材料を使っているので高価である。宅配などないから店まで行くしかないし、その店にだけしかない味である。満足度が高くて、お金をかけていいと思っている。お金をかけていい理由があるから、時短とか便利というものに該当しないかもしれないが。
他の人が思う時短や便利について、その手にした物にどの程度思い入れが発生しているのだろうか。自分でやった方が良かったのではと一瞬思ったりしたことはないだろうか。時短の結果、みんな何を手にして満足したのだろうか。
では今日はこのへんで。