記憶だけのものになる前に

連絡の取れない友人がいる。あと少しで1年近くになる。何か嫌なことをしてしまったから疎遠になったのかと思ったりもするが、それよりも具合が悪いのではないかと心配になる。

その友人のことを考えると、自分は悪い友人でもあったかもしれないし、良い友人でもあったかもしれないなと思う。相手にとって、半分嫌なヤツで、残りの半分は良いヤツだろうとどうしても思うのだ。全部が嫌になるほどならば、とうの昔に疎遠になっているだろう。

急に人生の途中で、ふと「あんな奴とはもう会いたくない」とまで思われるほど、何かあった訳ではないし、自分が気が付いていないとも思えない。自分が相手にとってすべて丸ごと嫌いになっていて、一切連絡を絶っているということがもしあったのならば、昨年自分が検査で引っかかって、さらに検査を受けていたときに、あれほど心配になってあたふたしてくれていた姿が嘘になる。それは信じがたい。

ゴメンゴメンと謝って、ちょっと面倒なことが重なってさ~とか言いながら集まって、度々時間が許す限り話をしていた友人。最近思い出していても、その気配をもう感じられないのだ。もうこの世にいないんじゃないのだろうかと思って怖くなってしまう。連絡がつくといいなぁ。

今日は昼から歌の仲間で集まって自主練習をしていた。帰りに話をしながらゆっくり歩いて帰宅した。自分に連絡の取れない友人がいたとしても、その会わない時間にこうやって過ごす相手がいて、その時間がどんどん埋まって行く。誰かが自分の周りに次々と代わるがわる集まっていて、人が恋しくなるほど魔が差す時間もないのだ。自分が生きている間、寂し過ぎるわけではない。

ただ一人の気配がいつまで経っても得られないのだ。今まで知っていた時間が新しい時間にどんどん追いやられて、見えなくなってしまいそうなのだ。しっかり残っているのに、他のたくさんの余計なメールに埋もれてしまう大事なメールみたいだ。もし、これからこの友人の記憶を度々引き出すことが出来なくなってしまうようなことがあったら、忘れてしまうのだろうか。日々の暮らしの人の付き合いの中に埋もれて行ってしまうのだろうか。そうなら寂しいというよりも悔しい気がする。

もし相手が、友人であることの自然消滅を待っているのだとしたら、先は長いゾ。まだこちらは友人だと思っていて、会えることを願っているのだから。ずっと昔、いつだったか、他の友人と会っていることに対して嫉妬をしていると話してくれたことがある。そんなふうに思うことが自分に対してあるなどとは全然思わないで過ごしていた頃。付き合いの悪い友人で会ったことは確かかもしれないなぁ。自分が自分である間に連絡が取れればいいなぁと思う。記憶も感覚も、遠い昔になる前に。

では今日はこのへんで。