ピアノと歌の練習を日々続けている。ボランティアの会議に出て今後の企画について話し合ったりした日もあったなぁ。中学生の合唱を聞き、そのついでに桜を観に行ったりもしたよな。大体数日前のことは今ある目の前のことが積もって行って、遠い昔のようになっている。支援していた若者に会ったのも一昨日なのに、一日一日が盛り沢山で、喜んだりしていた時間がすでに残り香のようだ。何だかもったいないな。でも、まぁ、それだけ一日が充実しているのかもしれない。
今日は歌の練習と新しく弾こうと思っていた曲の譜読みの続きをやって、これからケーキ屋へ手伝いに行く。前回お店に出たときにたくさんメモった内容をチェックして、不明分を今日確認するのだが、自分のメモは自分しかわからないだろうなと思うような書き方をしていて、暗号文のようだ。
そのときに直ぐに適した言葉がどうしても出て来ないので、出て来ない言葉の周辺をうろうろしながら書いているのだ。その物事を指し示すぴったりな言葉が出て来るのは後になってからが多くて、なぜこんなに回りくどい表現をしているのだろうと、自分のメモを見て後から笑ってしまう。咄嗟に出て来る言葉がスマートじゃないんだよなぁ。困ったときは図を描いている。
一番困るのは、相手が説明してくれた言葉の通りに書いたもの。全然意味不明になる。その言葉が業務上では適切、だけれど普段使わないものだったり、普段指し示すものが違っている場合だったりすると「なんのこっちゃ?!」となってしまい、全くわからなかったりする。
言葉についての説明が不足してしまったメモを書いていても役に立たないのだ。書いた当時はきっと理解していたであろう言葉でも、結局そのときにどう理解したかを書いておかないとダメである。自分のわかる変な言葉で書いた方がマシである。
他人にとっては理解しやすい言葉であっても、自分にとって適当な言葉でなければ自分が理解出来ない。見た目の言葉だけ覚えていて、中身が無いと使えない。自分の中で腑に落ちるとか納得出来る言葉を書かなくては。
言葉は体から飛び出した記号であって、全員が共通で認識出来るものばかりではない。だからこそ小さいときから学ぶんだよな。新しく認識するまでにせっせと中身の細かいところを他の人と摺り寄せて、自分なりにその小さな粒粒の言葉の成分を理解して、やっと使えるようになるような感じだ。理解するというのはとても大変である。
たぶん、ひとつの音符が繋がって行き、音楽が出来上がって行くように、ひとつの発生音が繋がって言葉になって行く。そのときにはすでにいろんなものが詰まっていて、どこかの誰かと同じものを共有したいけれど、結局すべてを共有することなど出来ないものなのだろう。どこまで行っても「近い」ものである。ものすごく近くて、でも決して同じものにはなり得ないもの。いつまで経っても、もどかしいものだなぁ。
そろそろ、ケーキ屋に行く準備をしなくては。自分の言葉を常に書ききれない。すべてを表現するには無理があり、不満ということは常にあり、ずっとずっともどかしい。けれど、それがあるからこそ言葉を発するのだろうと思う。嫌になっちゃうよな、と思うのに、まだ書いたり話したりするのだ。ああ、今日もあの下手くそなメモを取りまくるのか。
では今日はこのへんで。